2008年12月3日水曜日

ムンバイとバンコク―テロリストを掻き立てるものは何か?

今週は諸事情ありブログの更新が不規則になっており、誠に申し訳ございません。
更新したい話題が余りに多くあり過ぎて(ムンバイの「同時テロ」、タイの「クーデター」、自動車問題)、何から書けば良いのか悩んでいるうちに、上場来の損失で話題のゴールドマン・サックスがネット銀行業務に進出とか、勉強に値する新しい動きも報じられつつあります(WSJ)。

西側のメディアを追っかけるだけでも、なかなか十分な時間がないのですが、インドやタイの話について、多くの報道は紙媒体であれ映像媒体であれオンラインであれ殆どは生々しい事実の羅列の域を出ず、ことの本質に迫ったものはまだ見当たりません。とくにインド・ムンバイのテロについては、明確な犯行声明が出されていない点で同時テロとしては極めて珍しい事態である一方、インド政府はパキスタンを名指しするわ、パキスタンの駐米大使は具体的な証拠に基づきインドと協力して事態を解明したいと嘯くわ、まだまだ謎だらけだと言わざるを得ません。

こういうときこそ、東側メディアに隠れたヒントが無いかと思い、日頃滅多にチェックはしない英文プラウダ(ロシア共産党機関紙)を見ると、事件当日付の事実を淡々と書き連ねた記事があるだけでガッカリ。しかも、掲載されている写真が、ムンバイのテロとは関係がない、ベトナム戦争で米軍のナパーム弾攻撃に逃げ惑うベトナムの子供たちの写真というありさま。

特権階級の既得権益を排除する一方、貧農に対しても手厚い保護を行なったタクシン前首相失脚後、残党を一掃しようという今回のタイのクーデターは、フランス革命に譬えれば、王政復古段階にあるのかも知れません。この反動を見た目は一旦完結させたのが憲法裁判所という聞きなれない司法機関。我が国にも戦前は軍法会議など(大審院に上告できない)特別裁判所がありました。戦後民主化の中で、日本国憲法では特別裁判所の設置は認められず(判事に対する国会での弾劾裁判のみが例外)、よって憲法裁判所もありません。これは米国にならったもので、同じ西側諸国でもドイツやフランスには存在します。自衛隊に対する違憲判断などに象徴されるように、最高裁判所は具体的な事件(例えば苫米地事件とか)がないと憲法判断はしないということなので、憲法裁判所がないことが立憲政治に資するのか否かは意見が分かれます。ちなみに自民党や民主党は憲法裁判所があったほうが良いという立場、共産党は逆のようです。

いつになるのか良く判らない(解散?)総選挙ですが、その際には最高裁判所判事に対する国民投票も同時に行なわれています。これでバッテンを喰らった判事は戦後ひとりも居ないのではないでしょうか。田母神論文で一躍話題となった文民統制civilian controlですが、最近では永田町が霞ヶ関をコントロール出来ないという文脈でも使われているようです。それなら、最高裁判事の人事権に関わる内閣総理大臣と国民の関係も制度としては死蔵されてきただけとは言えないでしょうか。

この点、タイの憲法裁判所は特別裁判所であるだけに皮肉にも司法権が独立しており、多数決上は少数派に過ぎない公務員等の既得権益集団によるクーデター派の意見を聞き入れたというところが、なかなか考え辛いところです。

ところで、私が今最も解明したいことは、タイやインドの事件の発生時期や事態の酷さ。これらが米国発金融危機や米国の政権交代とシンクロしていることに大きな意味があるのか偶然なのかということです。前者のような気もしますが、それこそパキスタン大使ではないですが具体的な証拠もなく憶測だけで論ずるほど馬鹿げたことはありません。
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