2009年2月6日金曜日

政府紙幣は麻薬、伊吹文明氏

まさかヘリコプターでばら撒かれるのではないでしょうが、当ブログがこのようなばら撒き政策には一貫して反対してきました。

理由は3つ。

(1)貨幣錯覚が起こりうるという想定の誤り

2008年9月26日「貨幣錯覚は幻想に過ぎない」

(2)モラルハザード(やり逃げ)の防止こそ、健全な資本主義にとって唯一無二のルールであること

2008年10月17日「モラルハザードとファイヤーウォール」


2008年9月24日「良い銀行と悪い銀行」

(3)中央銀行が金融政策の範囲を広げている現状で、この手の議論のどこに意味があるのか、冷静に受け止められていないこと

2008年12月19日「米ドルはどこまで腐敗するのか?為替介入はありやなしや?」

2008年12月11日「中央銀行とは何ぞや?」

減反政策見直しの足を引っ張る古き悪しき自民党ですが、市場原理主義への徹底批判が渦巻く中、モラルハザード政策を麻薬と喝破する政治家も少なからずいらっしゃるのもまた自民党であります。

さて、市場原理主義もどきに対して、それ見たことかと鬼の首を取ったような書籍や、規制緩和推進派だった有名経済学者が懺悔した書籍が馬鹿売れしているようです。市場原理主義(もどき)への批判は今に始まったことではなく、市場の失敗(政府の失敗も同様に深刻ですが)という経済学用語には古い歴史があります。その代表格が、「公共財」すなわち営利企業に任せておいても供給されづらい道路や公園のようなものです。

インフラとか産業基盤と言い換えても、相応の文脈において、同義語です。

ご覧のとおり、私はブロガーとして、ばら撒き政策、モラルハザード政策を断定的に否定しつづけてきました。簡単に言えば、「政府はゼロサムゲームの邪魔をするな」ということ。しかし、もちろん、物事には二面性があります。

マクロ経済は本当にゼロサムゲームなのか?「買って損をした人がいれば、売って得をした人がいる筈だから、社会全体としてはチャラだ」という自分の考えに間違いはないのか?

反論があるとすれば、こういう理屈ではないでしょうか?

マルクスの歴史観も、マルクスを批判する立場の歴史観も、いったん忘れて、人類がどうやって物質的に豊かになってきたかを思い起こしてみますと、ひとつは技術の進歩(発明や発見など)であることは明らかで、もうひとつは、

自給自足⇒物々交換⇒お金(貨幣)の流通⇒お金の貸し借り(金融=信用創造)

という経済のインフラの整備だと考えています。100年に一度の云々とは、金融が壊滅的となり、場合によってはその一歩手前の貨幣(通貨)まで怪しくなるかも、というインフラの破壊であるから、政府が乗り出さなければならない、という指摘はありうるかも知れません。

ちなみに現段階は、多くの国では、通貨危機までは至っておらず、金融(信用)の収縮が、貨幣の価値を尋常でないほど高めているというのが現状です(Cash is king)。極端な荒療治は、紙切れの価値が無限大に高まることはありえず、どこかで反転するまで放置しろというもの。しかし、当ブログをしばしばパクッている元市場原理主義者の先生方も、そこまではおっしゃらず、埋蔵金をここぞとばかりに使いましょうというご意見やら、それこそ政府紙幣云々とのご意見が聞こえてきます。

荒療治では選挙に勝てないから、麻薬でも抗生物質でも兎に角形振り構わずばら撒けという政策は、貨幣流通インフラにまでは浸食していなかった危機の程度を寧ろ高めます。

昨夜の利下げ後、一瞬健康状態を取り戻したかに見えるかつての基軸通貨国家イギリスも、そしてユーロ圏では、スペインやアイルランドも、本日のテーマ「麻薬としての政府通貨」に手を出さざるを得ない状況にあると考えられます。ばら撒き政策の技術上の問題としては、国別に中央銀行があり、国債等の買い切りオペ(マネタイゼーション)という選択肢が終始残されている日中米とは好対照です。
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