2009年4月28日火曜日

世襲議員を選ぶ側の責任

日曜日朝のフジテレビ「新・報道2001」は最近議論が喧しい世襲議員(立候補制約)問題について、現職国会議員等が賛成反対に分かれて喧々諤々。でも、番組としては「世襲議員は日本の政治が良くならない原因」という論調だったと拝察(快哉!)。

世襲議員問題は、 “為替力”で資産を守れや、月刊FX攻略等の雑誌記事でも昨年来批判的に取り上げて参りました。今月21日を以って休刊となるマネージャパン“為替力”アップ道場でも、

「冷戦時代には、減反政策も反共目的にかなっていたし、中選挙区制度にも地域エゴイズムを支える余裕があった。冷戦終結後の政治改革と政界再編は、不幸にも、自民党と民主党それぞれのなかに、守旧派と構造改革派を包含する経緯を辿ってしまった。小選挙区制度地域エゴイズムさえ満足させていれば良い世襲議員を蔓延らせたことと相俟って、世界的にも稀な無政府状態を作り上げている。

と書かせていただいております・・・この他にも、マネージャパン“最終号”は渾身の記事が満載です。まだ間に合いますので今すぐ「書店へGo!」。

新・報道2001の論調の核心部分は、世襲議員は政治資金団体(だけでなく選挙地盤そのものも、なのだが・・・)の相続税が免除されているので、「優秀なのに世襲ではない議員(予備軍)」が競争上不利に立たされるというものでした。それはその通り。しかし、国政選挙の地方選挙区におけるこのような理不尽は、地方公共団体の首長選挙においては必ずしも成り立たない点に着目せねば。世襲議員が跋扈する日本独特の怪奇現象は、何故に田舎の有権者が世襲議員を推挙したがるのかという観点で分析する必要があるのです。

国政の政策論争の場でなければならない選挙が、他の地域に比べ自分たちが暮らす地域が良い思いを出来るようにするための人選になっている。弁舌爽やかな革新政党を封じ込めるためには一定の機能を果たした利益誘導メカニズム(中央と地方のパイプを保証すること)の制度疲労が遂に臨界点に達したということでしょう。

民主党岡田副代表が発表した世襲制限には快哉を叫びたいですが、本来は三位一体改革を貫徹させたのち、全国区比例代表制を中核に据えた選挙制度改革をすべき(脱線しますが、三位一体改革の言いだしっぺが世襲議員候補の親馬鹿になってしまったのは残念。。。)

世襲議員問題について巷間議論されている論点に戻ると、「世襲議員には御坊っちゃまが多くて叩き上げに比べて優秀ではない」という批判も絶対ではないでしょう。世襲議員批判の発端が、安倍⇒福田⇒麻生各総理だとしても、3人の政治家としての質は批判されるほど悪くないと私は思っています。このような個人レベルの知能や才覚の問題よりも、自民党全体として世襲議員が多すぎることにより、例えば「減反制度は限界に来ている。見直すべきだ」という正論が党内から出て来ても押しつぶされてしまうという組織疲労の問題のほうが深刻であるということです。世襲議員は頭が悪いかどうか?仕事をさぼっていないかどうか?等の次元の話に矮小化すべきではない、とフジテレビの同番組に出演されていた各々方に申し上げたい。
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