2010年2月26日金曜日

悪貨は良貨を駆逐する(第二回-前編)

またしてもゴールドマン=サックスか?
何しろ、今月は1月後半からのユーロ暴落を受け継いだ一ヶ月でありました。通貨ユーロの激震の震源地は、少なくとも今のところはギリシャです。
2009年12月17日「ギリシャの悲劇」
2009年12月18日「ギリシャの悲劇-その第二幕は?」
今、何やらゴールドマン=サックスの関与が調査され始めているデリバティブを通じたギリシャの「粉飾」疑惑に対して、統一通貨の矜持を示すべくモラルハザードの恐れの高い支援に後ろ向きなのが、統一通貨の産みの親とも言えるドイツの立場であり正論です。

驚嘆に値するギリシャの言い訳
しかし、物事はそう単純ではないというのが、一昨日ツイッターでも呟きました英フィナンシャルタイムズの報道内容です。

ギリシャの副首相が「ナチスドイツが大戦中に強奪したギリシャ中央銀行の金塊をまだ返してもらっていない」と。

ユーロ通貨導入の立役者である以前に、東西ドイツの通貨をも含む統合の立役者でもある、ヘルムート=コール首相(当時)は、政治信条としては、レーガノミクスやサッチャーリズムに近い保守主義であります。現在、日本をはじめ多くの国々で、規制緩和路線の保守主義は「市場原理主義」というレッテルを張られ、評判が頗る悪いようです。

しかし、通貨統一の大前提は、各主権国家の通貨発行権(シニョレッジ)の放棄であります。文系エリートの人気就職先である各国中央銀行(?)の機能放棄という犠牲を求めてまでして、自国通貨下落競争を根絶させ、自由競争のための公平な土俵を確保するという考え方。これは、「嘘ではない」金本位制が現代資本主義社会では非現実的になってしまった以上、ぎりぎり実行可能な次善策であり、正論なのであります。

EUが「多民族国家」であることを忘れてはならない
ワルシャワ機構が自壊する中で、コール首相(当時)の主張が、英サッチャーだけでなく、むしろより一層、社会党の仏ミッテランに受け入れられ、独仏の一枚岩が東西ドイツ統合と欧州統合のエンジン部分だったというのが、極々最近まで報じられてきた「現代西洋史」でした。

ですから、昨年9月にFT紙がスクープした英国の秘密文書は、とても意外な事実の暴露であったわけです。
2009年9月10日ベルリンの壁崩壊はヒトラーの再現より酷い

ドイツの首相(Chancellor)としては、かのオットー=ビスマルクに次ぐ在任期間を誇るヘルムート=コールの政治手腕が、ギリシャ危機(はたまたPIIGS危機)の今日こそ、問われているとも言えます。次回はいよいよ、当時の実勢をまったく無視した「1東独マルク=1西独マルク」という交換ルール(但し、東独国民1人あたり4000マルクまで、それを超える部分については実勢に近い2:1という交換比率が適用されていた)を、西ドイツ政府、西ドイツ中央銀行(ブンデスバンク)の猛反対を押し切って政治決断した考え方の根拠とその影響について書いてみようと思います。
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