2011年12月30日金曜日

割れかけたコロンブスの卵

昨日、12/29(木)のブログで、

「欧州の危機には、統一通貨ゆえに急成長し過ぎたツケと、個別国国債の買い切りには(独立通貨国以上に)抵抗がある中央銀行の存在という特殊要因があるものの・・・・・・」

と書きました。日本のような独立通貨国でも、日銀総裁が頑固だからというだけでなく、中央銀行による国債の直接の引き受けは原則禁止なのです(「国債の市中消化の原則」財政法第5条)。

この「原則」は先進各国共通のようです。しかも「例外のない原則(で)はない」というところも似ています。つまり、いったん市中の銀行に消化された国債を、金融調整目的で、中央銀行が買い上げることは可能であり、結果としてそれを満期まで持つことも可能であり、償還と同時に借換債を購入することも可能なのです。

この抜け道に注目したのが、今月、欧州で決定されたLTRO(長期リファイナンス・オペレーション、または長期レポ・オペレーション)だと言えます。

借り換えが困難な国の国債をECBが直接買えないのは、市中消化が原則であるだけでなく、健康な国の税金で運営されている(欧州)中央銀行を病気(の国の国債)のリスクに曝(さら)すことへの愛国心的な抵抗があります。そこを、やや健康な国の銀行にまで病気のリスクが蔓延していることを奇貨として、今回はまずイタリアの国債でしたが、これを買って担保に入れることを条件に(?)、それらの銀行に金を貸してあげるという枠組みになったのです。

中央銀行が助けたいのは国の財政だが、それが直接できないから、民間の銀行を導管として使う(使われた銀行も悪い気はしない)というのは見事な抜け道ですし、コロンブスの卵です。

このコロンブスの卵、ユーロ圏では、(市中消化の原則だけでなく)自らは健康だと思っている国の愛国心を回避するためのアイデアであったわけですが、愛国心の問題を気にしなくても済む日本でも米国でも応用できるかも知れず、そうであれば、消費税のことで与党内で揉めたり、離党議員や支持率の低下で悩まなくても良いのです。

ほんとうにそうでしょうか?イタリア国債の入札が、上記理由で順調であったにもかかわらず、ユーロは対ドルでも対円でも大きく下落しています。
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2011年12月29日木曜日

2012年を占う

フェニックス証券による2012年の「公式」占いについては、来月発売の月刊FX攻略にバッチリ載せておりますので、それまで暫くお待ちください。

今朝ご紹介するのは、フィナンシャルタイムズの論稿のひとつで、元国連事務総長補(当時の国連はアナン事務総長)など国際機関の重要ポストの経験を複数持つユニークなジャーナリストであるマーク・マロック・ブラウン氏によるものです。

氏の予想は至極一般的な悲観論で、①対策の打ちようがないユーロ圏危機、②過熱してしまった中国不動産市況、③先細るインドの改革とブラジルの経済成長、④アメリカの失業と債務、、、これらすべてが来年より悪くなることはあっても、良くなることはないと言い切っています。

ただ、このような普通の結論も、単に来年一年についての占いではなく、過去何十年もの間、糊塗し誤魔化し続けようとした西側経済(※)の病巣に帰するところに、氏の達観があります。

一時しのぎの連続に遂に耐えられなくなった西側経済(※)の病巣とはなにか?

氏はグローバル化はグローバルな優勝劣敗を作り上げた。つまり、二種類の勝ち組(技術革新の担い手たちと新興国の製造業の担い手たち)と負け組(西側の中間層とブルーカラー)が産まれた。問題は、負け組連中が劇的に失った競争力と所得を、それぞれの先進諸国の政治家が、回収不能な(!)ソブリンローンと消費者ローン(または住宅ローン)で取り繕おうと、もがいててきた「成れの果て」であると分析しています。

私自身の仕事を考えてみても、パソコンからインターネット関連サービスの技術の恩恵を受け、新興国の低賃金なのに高意欲でしかも高能力の働き手のサービスを直接・間接に利用出来てきたことで、二十数年前に社会人になった頃の私の上司の働き振り「これコピーしといて」「清書しといて」・・・みたいなコスト構造が是認されていた時代・・・とは隔世の感があります。

欧州の危機には、統一通貨ゆえに急成長し過ぎたツケと、個別国国債の買い切りには(独立通貨国以上に)抵抗がある中央銀行の存在という特殊要因があるものの、ツケの本質は、一度手にした物質的に豊かな生活は失われないものだと勘違いした国々にとっては共通なのです。

ちなみに、氏の予言によれば、経済的にはより悪くなる2012年だが、政治的には意外にも静か、ただし「嵐の前の静けさ」とのことです。

(※)ウェスタンという言葉を使っていますが、日本を含みドイツを含まないようです。
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(2012年3月16日追記)昨年のノーベル経済学賞受賞者の考え方【合理的期待仮説など】と似た切り口です。2011年10月11日の記事もあわせてお読みください。

2011年12月22日木曜日

まほうのぴあの-復興支援コンサート

日頃お世話になっている京橋の抜群に(!)美味しいイタリア料理タヴェルナグスタヴィーノTaverna GUSTAVINOさんの御紹介で、フォルテピアノなど古い鍵盤楽器を得意とされているピアニスト(フォルテピアニスト)丹野めぐみさん(ブログ末尾に別公演のyoutubeを御用意しました)のリサイタルにお邪魔してきました。

古い鍵盤楽器の音色

使用楽器は1820年頃制作されたJohann Georg Grober(←スミマセン、ウムラウトの表示の仕方がわからなくて・・・)、、、何と5本のペダルがあり、それぞれ特徴のある弱音機能であることを、演奏前のミニトークで丹野さんが実演含め解説してくださいました。うち、一本はペダルの渾名(あだな)がファゴットという現代のピアノには受け継がれなかったものです。

オーケストラ音楽同様、産業革命とともに、演奏規模もホールの収容人数も巨大化するなか、鍵盤楽器も大きな音を響かせるべきという価値尺度で進化していってしまったのでしょう。古楽器とはある種のシーラカンスかも知れません。ユニークなべダル機能のほか、ピアノ線が鍵盤に向かって全て垂直という意匠も特徴です。これを「平行弦」と呼ぶそうで、現代のピアノは、やはり音を大きく響かせるための工夫として、弦を平行ではなくクロスさせることが定着しているようです。

貴重な古楽器が200年近く丁寧にメンテナンスされ、演奏会場に運び込まれただけでも、演奏者の丹野さんをはじめ、スタッフ、主催者の皆さんの努力は相当なものだとわかります。

一言で言うと、ピアノの音、、、これもメーカーや型番、品番でかなり違うのですが、、、を日本の箏(こと)の音色に近づけたような印象で、ひとりだけクリスマスをすっ飛ばして正月を迎えた気分に酔いしれることができました(笑)。

作曲家の調性へのこだわり

丹野さん自身によるプレトークの内容は、古楽器の説明のほか、クラシック音楽における「調性」の話でした。

グスタヴィーノでいただいたちらしからはそんな内容の話が聴けるとは思わずびっくりしたのと、そういう意図なので、前半のプログラムの曲順が普通の演奏会ではありえない独特のものになっていたのです。

①バッハ「平均律」(第一集)ハ長調
②バッハ「平均律」(第一集)ハ短調
③シューベルト「即興曲」(作品90)第2曲 変ホ長調
④クララ・シューマン「前奏曲とフーガ」(作品16)第2曲 変ロ長調
⑤シューベルト「即興曲」(作品90)第4曲 変イ長調
⑥クララ・シューマン「前奏曲とフーガ」(作品16)第1曲 ト短調
⑦シューベルト「即興曲」(作品90)第1曲 ハ短調


本来は順番に弾かれる「組曲」が分解され、順番も逆転されたりしているのです(ただし上記①⇒②は本来通り)。

しかし、これらの楽曲を聴き慣れているひとも、そうでないひとも、たぶん何の違和感もなく、幻想的な転調の世界にひきづり込まれていったのだと思います。

あとで申し上げるように、冒頭の調性だけを並べてもあまり意味がないのですが、これら7曲がすべてフラット(♭)系の曲であり、その数は、①から順番に、

0⇒3⇒3⇒2⇒4⇒2⇒3(⇒0)

となります(戻ります)。最後の⑦は、冒頭ハ短調ですが結末がハ長調(ブラームスの交響曲第一番第1楽章と同じ)。ハ長調から短転(ドをラに読み替えて短調に転ずる)して始まったフラット(♭)の旅が巡り巡って最後は逆に長転(ラをドに読み替えて長調に転ずる)で我が家に戻ってくる形です。

ただ、この旅程は、見た目ほど綺麗で順調というわけではありません。シューベルトの曲名は文字通り「即興曲」ですが、バッハの平均律も、またそれと同じ題名である(バッハに対する明らかなオマージュである)クララの作品も、同じように即興的であり幻想的であります。

予定調和と即興性

バッハという作曲家は、以降のウィーン古典派の作曲家(ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンなど)やロマン派の作曲家(シューベルト、シューマン、、、、ブラームス、リスト、ショパン、、、)と対比させて、「神の音楽である」「予定調和の世界」「同じ動機が曲の何処をとっても現れていて“金太郎飴”」などと、一般には説明されるようです(出典「NHK教育テレビ『坂本龍一スコラ音楽の学校』」)。

バッハの鍵盤曲のなかで、「フランス組曲」「イタリア協奏曲」「パルティータ」「インヴェンションとシンフォニア」などは、確かに、各曲の後半部分の激しい転調部分も含めて、予定通りの、パターンに適った調性進行が殆どです。特に、「ゴルトベルグ変奏曲」も、変奏曲という定義上、大胆な調性進行はありえません(ただし例外的なト短調の3曲中3曲目のみ極端な前衛性があらわれています)。

今回冒頭で演奏された平均律第一集の最初のハ長調の曲も、それを「カバー」したグノーのアヴェマリアのお陰でわたくしなんかは和音進行を何とか記憶できるくらいで、平均律の各曲は、バッハの他の作品と比べて遥かに、「楽譜を見ずに鼻歌が歌える」程度に覚える、慣れ親しむのが難しい、、、特にマニアックな曲となると、例えば平均律第二集の変イ長調のフーガは、終結部直前の数小節はイ長調【正確に言えば変変ロ長調・・・フラット(♭)が9つ】にまで転調され、激しさにも程があると思うし、予定調和だとも思いません。

ピアノ音楽の旧約聖書と言われる平均律は、バッハの鍵盤音楽の最高峰であることは間違いないですが、最もバッハらしい音楽とも言えると同時に、最もバッハらしくない(即興性と前衛性に溢れ過ぎた)音楽とも言える、両極端を内包した存在です。

シューベルトの即興曲も、もうひとつの作品142が「第2曲を除いた3曲はピアノソナタと捉えるべき」とシューマン(旦那ロベルトのほう)が言ったとおり・・・わたしには第3曲の有名な変奏曲を敢えて除くと残りの3曲はベートーヴェンのピアノソナタ「悲愴」へのオマージュだと思えます)整然とした調性進行に基づいているのに対し、今回演奏していただいた作品90は、即興演奏という意味ではないにしても、実に思いついた通りの大胆かつ自由奔放な調性進行のため、バッハとクララの対位法の作品との相性が意外なほど良好なのです。

楽譜出版の生業(なりわい)とクラシック音楽の調性

絶対音感のないわたしがこれまでにも何度か生意気にクラシック音楽の調性について書かせていただいてきました。
ドンジョヴァンニ~変装と転調の妙なる調和

「愛の調べ」も転調が妙薬に~シューマンの職人技
愛の調べの第二楽章
これまで書きつづったことは、実は相対音感だけでも理解し楽しめる内容です。最後に、絶対音感(または楽器演奏上のテクニックの問題に対する理解)がないとピンとこない話に触れます。

昨日、丹野さんがプレトークで面白い話をされていました。上記7曲に漏れていてアンコールにまわされたシューベルト「即興曲」作品90の第3曲は、変ト短調(♭が6つ)で書かれており、楽譜の出版業者から、「フラットが6つもあると楽譜の売れ行きが悪くなるから、(半音あげて)ト長調(♯1つだけ)に書き換えてくれ」と圧力を受け、それに甘んじて書きなおした(が後年改めて作曲者原案に戻された)というエピソードです。

短い人生にもかかわらず1000曲前後の作品を残した多産のシューベルトにとって、生前楽譜の売上と生計に貢献したのはアヴェマリア一曲だけだったという話も聞いたことがあります。そこまでの生活苦があったればこそ、一度は調性の変更(移調?)を受け入れたのでしょうが、クラシック音楽にとって半音の違いは実は一番大きな違いであり、いくら銭金(ぜにかね)に関わる話とは言え、シューベルトの魂を著しく苦しめたのは想像に難くありません。

ちなみに、初版の楽譜は、作曲家の意図せざるト長調であったことだけでなく、この曲全体の雰囲気を大きく変える、左手アルベッジョのひとつの音が改訂版と異なっています(繰り返される動機なので、実際には何か所か現れます)。右手動機を移動度で言うと「ミ~ミミミ~ド~」、これに対する左手は、初版では繰り返しの前後問わず、ド+ミ+ソで構成されていたのが、現在我々が耳にする分散和音は、繰り返し後、上記下線部分が、ド+ミ+♯ソに改訂されているものです。

この一音の改訂、、、「経過音」化、これまたたった半音の違いです、、、が、ドイツロマン派のど真ん中的存在であるシューベルトが、ショパンやリストなど後期ロマン派の鍵盤音楽への見事な架け橋になっているような気がします。


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2011年12月21日水曜日

オリンパスの次ぎは野村証券か

粉飾、損失飛ばし、株価急落、、、という話では必ずしもありません。

某スポーツ新聞の見出しみたいで恐縮です。

日本のメディアが、何故か、躊躇して取り上げなかったオリンパス問題を白日のもとに曝した月刊「ファクタ」が、次にメスを入れた巨大金融機関の話です。

http://facta.co.jp/article/201201020.html

いまでこそ、新聞・テレビ等、旧来型メディアも大きく取り上げるようになってきていますが、蟻の一穴をこじ開けたファクタに対する評価は、内外から著しく高まっています。

その鋭い舌鋒が向かった先が野村証券などであることは、日本だけではないにせよ、ディーラー・ブローカーのビジネスモデルの劣化がいかにすさまじいかを物語っています。単に、リーマン買収が失敗だった云々という、時の運の話ではないのです。

それにしても、オリンパス問題、例えば日経新聞もかなりキャッチアップしてきているとはいえ、①財テク失敗による損失額、②M&Aを使った損失繰延規模、③現時点での粉飾額が、どう読んでも整合的に理解できないのは、きっと鋭意書いていらっしゃる新聞記者の方々としても忸怩たる思いに違いありません。

つまり、まだ奥のほうに、開き切っていない扉があると推定されるのです。
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2011年12月13日火曜日

MFGlobalのジャンク国債をジョージソロス氏が購入

先週の金曜日にフィナンシャルタイムズ紙が速報で伝え、日経新聞も囲み記事で追随した内容です。

ジョージソロス氏については、フィナンシャルタイムズ紙で過去何ヶ月にも亘って、ユーロ応援演説をぶってきました。

10/11(金)「ジョージソロス氏のユーロ防衛発言は続くが・・・」

ポンド危機でもアジア危機でも標的通貨の売り崩しから大儲けを果たした同氏が、今回は珍しく弱り目に祟り目のユーロを守る発言をしつこく繰り返すのは、ユーロ、かつまたは、ギリシャ、イタリア、スペイン、ポルトガルなどのジャンク化した国債の買い建て故のポジショントークか、または氏の出自に由来する平和哲学か、という話を、約2ヶ月前にいたしました。

一方、日本国内のFX会社を買収するなど世界規模に事業展開をしていた金融ブローカー大手のMFグローバルの倒産では、

MF Globalの倒産が、リーマンショックよりもショックだった理由


日本のFX会社にとっての全額信託保全と同様、顧客資産の分別保管義務があるにもかかわらず、ジャンク化しつつあった欧州各国の国債の買い建てにより自己ポジションの超過利潤源にしようと試みた結果、ジャンク化がより一層進んだために、自己資金での穴埋めが出来ないどころか、株価急落⇒倒産⇒顧客資産の返還に殆ど応じることが出来ない状況になったというものです。

この不良債権としての欧州国債ポートフォリオが巨額すぎるため、この倒産処理(≒残余財産の処分)を市場で単純にオークション的に行なうと消化不良を起こす(暴落が暴落を加速させる)という配慮が働き、大手投資家に相対(あいたい)で打診するという形式をとったのだと考えられます。

そしてそのなかでもっとも強い関心を示し、見事、買い付けに成功したのがジョージソロス氏だったということです。オークションに譬えれば、落札したのがソロス氏であったということです。

報道の時点では、ソロス氏が購入した大底(?)値よりも市況が回復しているので、かなりの利益が出たと言われています。しかしこれがまたしても「ハゲタカ行為」であったと断定できないのは、上述のように、ユーロと欧州各国国債の売り崩しをしていたという証拠がないからです。ほんとうに悪質なら、口ではユーロと欧州各国の財政を守るべきと言いながら、やっていることは正反対(同資産の空売り)ということも考えられなくはありませんが・・・・

言い換えれば、ソロス氏の投資行動が、ショートカバーによる利食いなのか、ロングポジションのナンピンなのか、ハッキリしません。

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2011年12月6日火曜日

なぜ日本人の自殺率は高いのか

昨夜、馴染みのワイン屋さん(日本橋兜町)に、御歳暮の手配に伺ったところ、そのお店は立ち呑みで有料試飲をさせてくださる超良心的なお店なのですが、しばしばお会いする常連のお客さまが二名いらっしゃり、わたくしもほんの二杯ほど御一緒させていただきました。

うちお一人は大手損害保険会社にお勤めの方で、フィリピンをはじめ、海外勤務の御経験も豊富な方です。

で、彼が言うには、日本人の自殺者は毎年3万人以上だが、そのうちの半分は、会社でのいじめ、パワハラの被害者なのではないか?と。

企業社会の変化と自殺者数・自殺率の関係は深いと思います。長年、毎年2万人台で推移していた日本人の自殺者数は、山一・三洋・日長銀・日債銀など大手金融機関が相次いで倒産した1997年~98年を境に一挙に急増して、以来昨年まで年3万人を下ったことがないようです(平成22年「自殺概要資料」警察庁生活安全局 生活安全企画課)。

国際比較を少々行ないますと、、、(厚生労働省「自殺死亡統計の概要」・・・警察庁の統計とはデータの取り方が異なること、国ごとの基準年度が必ずしもそろっていないことなどに留意が必要です)、、、第二次大戦後長年に亘ってダントツのワースト1位だったハンガリーが1990年代以降改善傾向となり、同時に共産党政権が崩壊したロシアが急増しワーストに、その後、最近マスコミでも話題のとおり韓国の自殺者急増で、現在は主要国(?)のなかで自殺率(人口10万人当たりの自殺者数を数えるのがグローバルスタンダードらしい)で日本を上回るのは、ロシア、韓国、ハンガリー(ほぼ日本に「肉薄」)となっていて、日本は世界有数の高レベル自殺率国となってしまっています(主要国?以外では、リトアニア、ベラルーシ、ガイアナ、カザフスタンだけが日本より上位)。

逆に「優良国」としては、主要国(しつこくも、?)の中ではイギリス、オーストラリア、カナダなど旧英国宗主国が目立ち、プロテスタント系ならではか(仏教や神道は自殺に関して必ずしもネガティブではないとの指摘あり)とも思われます。

が、、、このブログは、FXブログですし、より深くは政治経済を論ずるブログですから、宗教の要因だけを重要視するわけには行きません。

日本の自殺率は直近で24.9(人口10万人につき24.9人)ですが、この数値が10以下の国のなかに、ポルトガル、スペイン、イタリア、ギリシャがあります。このほか中南米の国々の殆どとフィリピンがこの領域に含まれています。

これを(旧ギリシャ植民地の(旧ローマ帝国植民地の))旧ポルトガル+スペイン植民地だから、いわゆるラテンな感じだとか、カソリックだから、もっと言えば、現在世界を悩ませている経済・金融問題に即せば、「宵越しの金を持たない」「借金が返せなくてもケ・セラ・セラ」という特質に注目すべきかも知れません。

昨夜、損害保険会社の方と話をして感じたのは、勿論、会社でのいじめやパワハラは世界中の(大)企業で発生していることですが、日本の場合は、上司が特にそれに頼らないとリストラが出来ない、整理解雇要件の厳しさが就労者を守るどころか逆にお互いすっきりしない辞め方辞めさせ方を強いられている不幸な構造があるのではないか、ということ。それと、住宅ローンの問題(ノンリコース型の商品が原則としてないこと、団体信用生命保険が借入時に必須となっており、これは勿論、世帯主死亡の場合に残された扶養家族を守るものではあるが、給与減やボーナス返済破綻など、更には失業や不動産相場下落の際に、「自分が死ねば良い」という決断を必要以上に促してしまう制度になってしまってはいないか、ということです。
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2011年11月30日水曜日

中国が金融緩和へと政策を急転換か!?

ただいまウォールストリートジャーナルが速報で伝えたところによると、中国の中央銀行が、民間銀行に貸している支払準備率を0.5%引き下げると発表、12月5日実行とのことです。


http://online.wsj.com/article/SB10001424052970204012004577069804232647954.html?mod=djemalertNEWS


支払準備率を引き下げるのは2008年12月以来、3年振りですし、今年だけでも5回、引き「上げ」を行なってきたところです。

景気過熱、物価高、不動産バブルへの対策として、金融引き締め策を次々と打ち出してきた金融当局が、一転して、金融緩和のシグナルを鳴らしたのは、グローバルな金融市場の混乱が背景にあると、同紙は、取り急ぎ、報じています。

景気の過熱と資産バブルをソフトランディングさせる良い知恵はないかどうか、中国のエリートは、どこの国よりも一生懸命勉強してきていたとわたしは見ており、その答えがないことを、この政策転換は示しているのかも知れません。
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2011年11月29日火曜日

信用格付けビジネスに潜むアフィリエイト稼業と利益相反

ギリシャ、アメリカ、イタリア、フランス(誤報?)、、、スペイン、ハンガリーと、金融恐慌になるとやおら存在感を増すのが信用格付を行なっている会社です。

90年代後半の我が国の金融危機のときは、業界の人間以外には馴染みがなかったはずの、ムーディーズ、S&Pという「言葉」が、夕刊タブロイド紙の盛り場ニュースの隣の記事にまで進出するほど浸透していました。ムード音楽とかムーディ何某とか死語あるいは表舞台からは姿を消しましたが、ムーディーズは周期的に表舞台に登場します。

そんな格付機関の歴史を、わかりやすく、本質をぶち抜いて書かれた良い記事に出会いました。

格付け機関が飲んだ「毒薬」-日経ビジネスオンライン

格付け会社もアフィリエイト稼業に手を染めたから生計を立てられた。アフィリエイト稼業に手を染めない「インヴェスターズ・サービス」だという矜持を守った三国事務所は部門閉鎖に追い込まれた。勝手格付けは利益相反対策だったと言うが、発行体への脅しだという現実を考えると・・・

最近、フェイスブックを使ったビジネスの限界を露呈したとも言われている有名なR社によるフェイスブック上の勝手「企業ホームページ」事件とか、、、FX業界に君臨する有力比較サイトやカリスマブロガーの問題と構造が一致しています。
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2011年11月25日金曜日

FX攻略.com2012年1月号が好評発売中

先月のいまごろ、このブログで嘘をつきました。

「ことりFX」サービススタートを記念して、連載開始からのコラムを毎日このブログで御紹介して参ります、、、と書きましたが、続けるのを忘れていました。

お詫びついでに方法を変えまして、発売と同時に半年前の記事をブログで振りかえりたいと思います。

ただいま発売中の1月号では、自動売買が特集されています。そのなかでわたくしのコラムはしつこく欧州危機をフォローしています。

それでは、7月下旬に発売された9月号のコラムから・・・

「ブログの更新と異なり、雑誌への寄稿というのは、1ヶ月後に書店に並ぶときまで鮮度を保っていたいと思うと、何を書いていいのやら、たいへん頭を悩ませるものであります。


永田町の政局も、菅総理への不信任決議否決の前後あたりからは、1ヶ月先はおろか、1日先のことすら、内部の人間ですら読めなくなりました。

FX業界でも、この1ヶ月で、随分多くの会社が廃業、身売りを発表しました。わたしは数年前からじわじわと業者の数が減るだろうと予想していたので、この時期になっての業界再編の加速は、やや予想外だったと言わざるを得ません

(ただし最後に申し上げるように、わたしはFXは「成長産業」だと思っています)。

しかし、多くの日本人の心の内側を正直に問えば、ここ最近で最も予想外だったことは、政局の不透明でも、FX業界の不透明でもなく、日本で発生した深刻な原発事故で、かつての同盟国であるドイツとイタリアで相次いで、原発の撤廃が決定したことではないでしょうか。特にイタリアでは、電力輸入国ながら、国民投票で定足数を満たしての多数決可決という点に重みがあります。

ファシズムの敗北というレッテルを貼られた日独伊のうち、特にイタリアでの現象について「集団ヒステリー」と呼んだ自民党の二世議員がいました。百歩譲って、世界史上で最も進んだ民主国家という形跡を持ちながら全体主義に陥ったドイツとイタリアに「集団ヒステリー」の気質が全くないとは言いません。しかし、震源地であり爆心地でもある日本で、どうせ不透明な政局なら、原発を政局にしない道理はあるでしょうか。

既存の大政党や大企業に与して仕事を続ける以上、この国では、どんなに優秀な人間でも、自分の何処かを誤魔化し続けて不完全燃焼のまま人生を終えるしかない構造なのです。その腐りきった構造とて、守ることの利益のほうが壊すことの利益より大きいと集団的に盲信している限りびくともしないことを「失われた20年」は証明しました。が、今回の地震はそれを許さないと思っています。金融界の端くれであり、それほどの政治力を持たないFXの世界ではありますが、わたしは次世代の金融産業の柱になるべく、これから先大きな進化を遂げていくと確信しています。フェニックス証券は、「この時期、これほど前向きな投資をする会社が他にあろうか?」と思える程の企画をFX分野でもこれから進めて参ります。」

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2011年11月17日木曜日

中央銀行の押し目買い

買ったのは金(ゴールド)です。

英フィナンシャル・タイムズ紙の速報によると、金相場が急反落した9月を含む第三四半期に、過去40年で最大金額の金を中央銀行(セクター)が購入したと伝えています。

情報元は、どこの中央銀行が、という内訳は公表できないとしていますが、金地金市場に初めて参入する中央銀行からの旺盛な買い意欲があったと、仄めかしています。

「過去40年」とは、米国が金本位制を嘯いていたブレトンウッズ体制の崩壊以降の記録的金額ということになります。中央銀行セクター全体では、2008年~2009年は金を大量に売り越しており、昨年2010年に買いに転じていました。

さて、金を買って何を売っていたのでしょうか?外貨準備が急増した新興国の中央銀行だとしたら、欧州の国債か、金融引き締めのための自国マネーということが想像できますが、詳しいことはわかりません。

記事の最後に、宝飾品として金の最大の消費国として、中国がインドを追い越したと説明されています。
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2011年11月11日金曜日

讀賣新聞、オリンパス、大王製紙

TPP協議に参加か否か、イタリアやスペインの国債は何処まで暴落するのか、プロ野球日本シリーズもいよいよ明日開幕じゃないか、ということで、一億総国民が固唾をのんで見守っている中で、くだらない内輪もめの話がとんだ邪魔ものとして闖入してきたものです。

それにしても、オリンパスや大王製紙で論点となっている「ガバナンス(企業統治)」とか「内部統制(インターナル・コントロール)」とか「コンプライアンス(法令順守)」という言葉、企業社会ではこの20年で随分使われやすくなりましたが、わかりやすく説明するのは容易ではありません。

読売巨人軍の清武代表が、讀賣新聞主筆で同球団の取締役会長でもある渡邊恒雄氏の言動が内部統制とコンプライアンスの観点から許されないとする単独会見(@文部科学省)が、多くのメディアをにぎわし、またネット上でも瞬間沸騰の話題となっています。

わたしは渡邊氏については、日本共産党出身の改憲派であり、権力闘争が得意な大連立支持者であり、TPP賛成のリバタリアンである程度の知識です。そもそもがアンチ巨人なので、特段好感を持っているわけではありません。しかしながら、清武代表が涙を流して行なった言動は、わざわざ大手メディアや一般大衆の耳目を集める価値のない、上司に梯子を外されたことによる愚痴に過ぎません。

プロ野球がどうあるべきかというのは価値観の問題です。落合監督続投支持という意見を持ちながら現場(≒部下)の意見に譲歩した中日ドラゴンズの白井会長の態度が「ガバナンス」なのか、資本の論理または人事権に基づいて有無を言わさない渡邊会長こそがむしろ「ガバナンス」なのか、、、これだけ考えても、上述のように「ガバナンス」とは何かを論じるのは簡単ではありません。

オリンパスと大王製紙は、株主から委任を受けている筈の経営者、実は同じような関係にあると考えるべき(だとわたしは思っている)少数株主と大株主との間の利益相反の問題で第一義的には処理すべきなので、これは金額の問題はさて措くとしても、立派な「ガバナンス」問題であり「コンプライアンス」問題であります。

上司部下の関係のいざこざという、サラリーマンが新橋の立ち飲み屋で憂さ晴らしする程度のことを、やれガバナンスだ、やれコンプラだと言って、霞が関から全国ネットで憂さをまき散らすというのは大新聞の企業文化を引き摺る奢りであると言えます。

ただ、そのような非常識な大人を育ててしまう組織にはやはり理由があります。読売新聞社の歴史をひも解くと、資本主義下の民間企業とは思えないようなスターリン粛清を彷彿とさせる権力闘争が連綿と続いているのです。オリンパスの巨額粉飾と同様、冷戦終結とIT革命から20年以上経って、大手メディアの伏魔殿にやっとサーチライトが照らされたということになります。

・・・いや、そういうことではなくて、野田総理による「TPP協議参加決定」というニュースの取り扱いを小さくさせて目立たなくさせてあげよう、という配慮のために、讀賣グループの首脳陣が演じた猿芝居だというのが真相だ、、、、というのであれば、民主党のガバナンスは見上げたものだと思います。
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2011年11月9日水曜日

オリンパス問題とTPPで、日本はますます良い国になる!

オリンパス社内で歴代経営者の申し送り事項とされてきた粉飾決算というパンドラの箱を勇敢にも開けてしまい解任された外国人社長と、その腐った木箱の蓋が崩れて座る場所を失った歴代日本人経営者たち。

どちらが賢くて、どちらが馬鹿であるかという二者択一では真実は見えてきません。どちら側も等しく合理的な行動の結果であるという前提に敢えて立って考えるべきです。

「経営者」とか「社長業」という職種が転職可能な労働市場インフラが整備されていれば職業能力に自身のある人は、オリンパスの例に照らせば、過去の不正を暴く行動に出るでしょう。

幹部候補生が社内の競争に勝ち抜いて経営幹部へと出世していったとしても、そこで証明された彼らの能力が、転職可能性を必ずしも押し上げないという事象は、何もオリンパスだけに限ったことではないでしょう。日本的経営の要素が色濃く残っている上場企業の殆どで起こりうる問題であると考えられます。

このブログでは「失われた20年」とは言うが、失われて良かったことのほうが多いと繰り返し申し上げて参りました。オリンパス如きに20年も掛ったのは失笑物ですが、大手金融機関の法人営業とは何だったのかということも含めて、獲物は決して小さくないと思います。

そこから一挙に飛躍して、TPPに反対を(すべくして)している農協や日本医師会などは、映画「ラストエンペラー」に出てくる清朝末期の宦官の有象無象であるとまで言い切るつもりはありません。が、どのような業界に属するにしても、自分自身の行動指針に自信を持ち、それにしたがってきっちり競争するという真摯なプレーヤーにとっては、開国(「Open the door!!」)を叫ぶほうが、ガラパゴス状態に甘んじるよりも、メリットが大きいのです。
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2011年11月4日金曜日

パパンドレウ首相が開けたパンドラの箱

いまから2年前、2009年の流行語大賞は「政権交代」でした。1955年の結党以来となる自民党の大敗は、その当時は必然であり、民主党は、高速道路無料化や子ども手当や農家への戸別補償を持ちだすまでの必要はなかったのではないかと思っています。

ましてや、普天間問題をや、であります。今となっては懐かしい鳩山当時首相の「故人献金」は身から出た錆として、普天間問題にスポットライトを当てたのは、政治家にしては正直過ぎて馬鹿をみたとも言えます。

自民党の悪政の責任をボランティアとして引き受けてしまった問題という意味でも、原発問題と普天間問題は同列です。

原則として世襲政治家(の割合の多さ)を徹底批判してきた七転び八起きブログですが、逆にしばしば重要な例外的存在があることを御紹介して参りました。ポリティカル・ダイナスティ(政治王朝とでも訳すべきか)の末裔でしか出来なさそうな、教育、資力、正義感の三拍子が揃ってはじめて出来るリーダーシップというものもあるのでしょう。

実は、いま渦中のパパンドレウ首相も、親子三代に亘るギリシャ首相経験者の、その三代目です。

ウィキペディアの日本語サイトが不完全であり、また翻訳も酷いので、ここには英語サイトを掲載します。上から、祖父、父、御本人です。
http://en.wikipedia.org/wiki/George_Papandreou_(senior)
http://en.wikipedia.org/wiki/Andreas_Papandreou
http://en.wikipedia.org/wiki/George_Papandreou
余りに長い話となり、映画で言えば「ラスト・エンペラー」や「ゴッド・ファーザー」を超える上映時間を要するようなものですが、無理矢理要約すると、

★祖父は第一次世界大戦前後に親ドイツの皇帝に反逆して暗殺されかかった首相経験者、

★父もその反骨精神を受け継ぎマルクス経済学者としても優れた功績を残したやはり首相経験者、

★そして渦中の本人は全ギリシャ社会主義運動という野党党首(2004~)として2009年の総選挙で政権交代を果たし、その直後に全政権の負の遺産である財政赤字の粉飾を摘発、このことがギリシャ危機の発端となり、下野した新民主党と有権者たちの信任を失って今日に至るというわけです。

すべてのケースで等しく同情するわけではないですが、鳩山民主党の普天間、菅民主党の福島第一原発、だけでなく、オリンパスも然り、古く(もないが)を辿れば日本長期信用銀行や日本債権信用銀行にしても背任的なレベルまで不良債権を作りだしたり粉飾したりしたときの経営者ではなく、それが発覚したときの経営者が刑事罰に問われた(現在は無罪の差し戻し判決が確定済)ことをも彷彿とさせます。

パパンドレウ首相が、6割の債務カット案の条件として突きつけられている緊縮財政案を国民投票に問うという行為に対し、「いまさら何を馬鹿な」とついつい反応してしまいがちですが、申し上げた経緯と切り口からは、また違った感想が浮かび上がると思います。

それにしても、かつてはイタリアやフランスなどでも一世風靡したユーロ・コミュニズム(西欧版共産主義)が一律大きな政府を目指したのに対して、パパンドレウ首相がギリシャというボロ車の運転席に就いた途端に、小さい政府を目指して不人気を買わざるを得なくなっていたというのは、皮肉なものです。
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MF Globalとギリシャは根っこが同じ!?

MF Globalが、倒産する2年も前から、債務の残高を偽って公表していたことが判明したと、ただいまウォールストリートジャーナルが臨時ニュースで伝えました。

同様の粉飾をしていたことが明るみになって欧州から世界を震撼させているのがギリシャです。

その粉飾のお手伝いをしていたのがゴールドマン・サックス。ブローカー・ディーラーの域を超えて、博打で利益を嵩もうとしていたMF Globalの社長も同社の出身。

決してわたしはユダヤ系金融が諸悪の根源だという理論に与する立場ではありません。我が国の大手金融機関の体たらくを見ていると、いまだに彼らに学ぶ点が多いことに驚かされるからです。

しかし、失敗事例を研究すると、リーマンブラザーズもMF Globalも、利益作りの中身は、ミセス・ワタナベ流の初歩的なキャリートレードと本質的な違いがない ことがわかります。
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2011年11月2日水曜日

MF Globalの倒産が、リーマンショックよりもショックだった理由

えっ、負債総額では、クライスラーよりは大きいが、リーマンブラザーズよりは小さいではないか。何がショックだ。。。と思われるかも知れません。

MF Globalとは、18世紀にイギリスで設立された老舗のヘッジファンド「マン・フィナンシャル」がデリバティブ専門のブローカー・ディーラー部門を会社分割+株式公開して出来た米国籍の会社です。我が国ではFXアジアという会社を買収して、MF Global FXA証券と社名変更して、FX会社を運営していました。

MF Globalのサドンデスのニュース(とMF Global FXA証券の業務停止までの短時間の紆余曲折と)相前後して、我が国の上場証券会社が殆ど何処も赤字転落、赤字拡大、という四半期決算を発表しました。

リーマンショックという大舞台の上の主役たちは、投資銀行と呼ばれつつも、実際は「投資する銀行」に過ぎなかったことを露呈したわけですが、それは以前からわかっていました。

今回の主役は、ヘッジファンドから切り離されたブローカーが、実はもっと桁違いの儲けを狙って自らもヘッジファンドに変貌したまま大失敗したということです。

フェニックス証券もブローカーの端くれですから、いかにこの事業が薄利多売であるか は身に沁みています。

御存知のFXの世界は勿論、株式のリテール市場も、インターネット取引と手数料の自由化で、従来のビジネスモデルは壊滅寸前です。

先日、長年お付き合いのある不動産業者さんと未公開の中古アパートを見に行きまして、その帰り道、西武池袋線の急行のなかで、「駅前の不動産屋さんの数は減りませんね。インターネット取引も限界があるし、手数料は守られているからでしょうか。広い意味での金融サービスのなかで対面分野が最後まで残るのは不動産仲介なんでしょうね」という話をしたら「いえいえ、楽ではありません。3%という手数料は、案件が決まる確率を考えると本当に僅か。いちど買取と転売に手を染めてしまうと、仲介だけでやっていくのが馬鹿馬鹿しくなってしまうのです。しかしキャピタルゲインを楽に得られる時期もあれば、逆もある。そのときは金融は引き締めですから、倒産する。長く地味にやっている会社は、如何に転売の(利益幅の)魅力というか誘惑と闘えている経営者がいるということですね」という意味深長な答えが返ってきました。

MF Globalのケースは、経営者ゴザイン氏が誘惑に負けたどころか、最初から古巣のゴールドマンサックを見かえすべく、自ら誘惑にのめり込んだ結果でした。

話があっちこっちに飛びましたが、わたくし個人にとって、MF Globalの倒産が、よりショックだったのは、ホールセール=自己売買も駄目、なのに加えて、リテール=自己売買も駄目、というのが、この時期、世界中を見渡して観察されることです。

ただし、ショックと書きましたが、実は嬉しい開き直りでもあります。いま、わたしは、リテール・ブローカー業務をはじめて、7年目になってしまいましたが、最初は勝手が判らず、また、中小のブローカーが大手のブローカーに対抗出来るかどうかという分析も十分できずに始めてしまっていました。

システム、ブランド、コンプライアンスコスト、お上とのパイプなど、スケールメリット(平たく言えば中小では太刀打ち出来ない要素)があるのではないかということです。

事実、リテール業務初心者の頃は、大手の決算と比べて、収益率がだいぶ違うので、自分の知恵の無さなのか、不可抗力なのか、随分悩んだものでした。

MF Globalの倒産や大手証券の赤字転落、赤字拡大は、「なあんだ、この人達には敵わないと思っていたのは、ビジネスモデルを企画立案実行出来る能力ではなくて、ミセス・ワタナベと大差ないキャリートレードの分だけだったのか?」ということを知らしめてくれた点では、良いショックでした。

しかし、悪いショックでもあります。MF Globalのケースで顧客資産の分別が出来てなかったことが尾をひいています。リーマンのケースでは、銀行間市場が機能不全となりホールセールの側か金融制度が崩落しました。今回は、リテールの投資家が、分別保管(我が国のFX業界で言えば信託保全も含まれます)そのものを疑うようなことが起きてしまっており、これはシステミックリスクがじわじわと現れ、さらなる市場縮小の覚悟をしなけらばならなくなるかも知れません。
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2011年10月31日月曜日

元ゴールドマンのクオンツ物理学者、ウォール街の偽善嘆く

10月31日付ブルームバーグの書評です。

ゴールドマンサックス・グループでクオンツファイナンス責任者を務めた素粒子物理学である著者のことば、

「リスクを取らずに成果が出せると思うな、損失の可能性なしに利益が得られると考えるなとわれわれはかつて教えられてきた」

にもかかわらず、

「今は縁故資本主義、利益は個人のもの、損失は社会で共有という現状、企業助成政策などを甘受している」

という箇所は、特にリーマンショック後の、米国政府による見境のない市場経済への国家関与をさしていると思われます。筆者のいうとおりですが、モラルハザードという点で日本のほうがより深刻であることをわれわれは反省しなければならないと思います。

古くはダイエーにはじまったモラルハザードは、JAL,東京電力へと続こうとしています。企業という形をしていないかも知れませんが、農業、医療、介護・・・もまたモラルハザードの根城です。

共産主義よりも資本主義のほうが優れた制度であるという命題には、モラルハザードが起きないという前提があることを忘れてはなりません。
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2011年10月27日木曜日

ギリシャ債務元本削減率、50%で決定

米ウォールストリートジャーナルの速報記事です。
http://online.wsj.com/article/SB10001424052970203687504576654901570712070.html?mod=djemalertNEWS
仏サルコジ大統領が、「マラソン」協議の末に、合意に至ったと発表。自主的な債権放棄を促すに至る討議の過程では、乱闘もあったようで、記事中の写真をご覧ください。

経済が萎むとき、損を誰が負担するかという問題に直面すると、人間は醜さが出ます。

50%~60%の債権放棄を民間債権者に強いるという根回しが先週末から始まっていましたが、この合意過程を見ると、わたしは90年代中盤の、住専問題を思い出さざるを得ません。

民間負担の裏返しである「公的負担」が6850億円に決めるために、政治的にも世論的にも夥しい時間とコストを費やしたものの、後から思えば、血税が負担した金額規模は桁違いに終わった。

同じことがヨーロッパで起きることは略間違いなく、今回の合意は序章に過ぎないでしょう。
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2011年10月25日火曜日

「現金の海」を泳ぐ銀行

ほとんど金利がゼロなのに、(家計部門などが)銀行に預けている預金の残高は未曾有の水準。ところが、銀行はリスクの高い貸出を控えようとする。信用力の高い大企業は借りてくれない。

銀行全体の預金量に対する貸出の比率(=預貸率)のグラフを見てびっくり!!

90年代以降の、デフレ、大企業の債務リストラ、低金利~ゼロ金利が概ね20年続いた日本のことではありません。ニューヨークタイムズ紙が、「銀行たちが現金のなかを泳いでいる」と譬えたグラフィック記事は、昨今の金融危機以降、急速に「カネ余り」状態に陥った米国の商業銀行の姿を現しています。

このグラフィックが付属している記事本編では、預金の「洪水」を歓迎できない商業銀行のなかで、とくに高飛車な大手のなかには、ニューヨークメロン銀行が一部不採算預金客に対して0.13%ポイントの口座管理料の徴収を計画しているほか、JPモルガン・チェース、USバンコープ、ウェルズファーゴが当座預金だけでなく譲渡性預金の金利を殆どゼロに下げたうえで預金保険料を中小企業向けの貸出金利に上乗せする形で転嫁する動きが出ています。

昨日アップのウォールストリートジャーナルの記事にありますように、一方では、オバマ政権が緊急対策を打たなければならないほど、住宅ローンの借り換えが(ちゃんと約定どおり元利払いをしてきた善良な人々ですら)ままらなぬほど銀行の貸出姿勢が厳しくなっている。その結果が、預貸率の「悪化」です。

金融危機以前は、どの商業銀行も預金獲得に躍起になっていて、3%以上の金利を付けるだけでなく、iPadを無料で配るまでして、また支店の増設も盛んだったのが、一転、支店閉鎖、何千人という桁での解雇という状況に陥っていると同紙は報じています。
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2011年10月24日月曜日

住宅ローンで債務超過の借り手を救済へ-米国政府

米ウォールストリートジャーナルの臨時ニュースです。
http://online.wsj.com/article/SB10001424052970204346104576638931114550132.html?mod=djemalertNEWS
資本主義陣営である米・欧・日などのなかでは、モラルハザード的な政策が最も受け入れづらい米国で、極めて異例な「自己責任・結果責任を問わない」手段が取られようとしています。

共和党側、とくにティー・パーティーの出方、反応にも注目ですが、オバマ政権の動きに、しのごの言ってられない、のっぴきらない状況を感じざるを得ません。

ギリシャという国が相手か、住宅ローンを借り過ぎた相手か、随分異なるように見えますが、稼ぐ力以上の生活に嵌ってしまった浪費家を助けざるを得ないという事情ではほぼ共通です。

米国財政の更なる不健全化という意味では明らかにドル安要因、ただし景気悪化に歯止めがかからない程度であればマネーサプライは上昇せず、ドル高要因と減殺されます。
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【追記】今朝10/25(火)朝のNHKニュースで、ウォールストリートジャーナルのスクープを追認する報道がありました。そのサイトを添付します。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111025/t10013482551000.html

「ことりFX」いよいよ始まる⇒始まりました【フェニックス証券】

七転び八起きブログの外枠で、密かに(?)お知らせしていたフェニックス証券の新サービス「ことりFX」、、、いよいよ本日10/24(月)サービス開始&新規口座申し込み受付開始となりました。

10月に入ってから、毎週末、役職員全員で土日出勤してテストを繰り返し、昨日一昨日でフェニックス証券の既往のお客さまの口座移管を無事完了。本日からログイン可能となり、また新規のお客さまの口座開設申し込みも予定通り開始することが出来ました。

デモ口座も従来通り機能しております。

利便性(パソコン~スマホ《iPhone/Android》・・・)でも取引条件でも、これまでより格段に改善し、業界トップクラスになっていると自負しています。どうぞお試しください。

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2011年10月21日金曜日

破綻したデクシア銀行の大胆過ぎる粉飾

今朝のフィナンシャルタイムズが臨時ニュースで、欧州危機による最初の破綻銀行、デクシア(仏蘭西・白耳義)が、取引先2社に対して巨額の融資を行ない、その資金がデクシア自体の株式の購入に使われたと報道しています。

http://www.ft.com/intl/cms/s/0/6c89260a-fb29-11e0-8756-00144feab49a.html#axzz1bHEleE7L

融資額は2社分合わせて2000億円程度。EUをはじめ多くの文明国では禁止されている行為だが、ベルギーではOKかNGか、記事によると微妙です。

禁止行為が行なわれたのは2008年以前の増資の時期だったということで、これはギリシャに端を発する欧州危機どころか、リーマンショック以前であったことにも驚きを隠せません。

しかし驚いてばかりいられません。この事案が、粉飾や架空増資という意図を以って行なわれたことかどうかもさることながら、間接金融の規模の割に直接金融の市場が小さく、金融機関が優越的地位の濫用を起こしやすい経済圏で起こりやすいわけでして、そういう意味では日本の金融制度も他人事ではないのです。

「預け合い」と並ぶ架空増資のやり口である「見せ金」も、もともと(「見せ玉」と同じく!?)、抜け道がいくつも存在していました。最低資本金制度などの改正や、自己株(≒金庫株)取得の解禁など規制緩和も拙速だったという商法学者(会社法学者)の見方もあります。一方で、銀行の優越的知の濫用については規制が強化されているとも見られますが、銀行の融資先への劣後債等の引き受け要請、自行株担保の融資、株式持合など、架空増資と紙一重の行為は、失われた20年でもまだ十分失われたとは言いづらいのが現状です。

リーマンショック直後に批判した銀行による政策保有株式の話、、、預け合いと株式持ち合いもこれまた紙一重です。
http://phxs.blogspot.com/2008/10/blog-post_21.htm

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FX攻略.com12月号が発売開始

http://www.fujisan.co.jp/product/1281682947/
唯一の外国為替証拠金取引の専門誌(月刊誌)FX攻略.comで新連載「『為替力』で資産を守れ!」を始めて約半年経ちました。ブログとは異なり執筆後約1ヶ月ディレイとなりますが、最新号12月号も是非お読みください。

「ことりFX」10月24日サービス開始を記念して(!?)、これから毎日過去記事を御紹介して参ります。


「『為替力』で資産を守れ」



新連載第1回


東日本の太平洋岸に未曾有の被害をもたらした地震と津波から2ヶ月以上経ちました。犠牲者の方々の尊い魂を沈め、被災者の方々の苦難と努力に報いるには、義援金や「いっしょにがんばりましょう!」などのメッセージだけでなく、おそらく明治維新にまで遡るであろう錆びついた国の形や既得権益を打ち砕くこと、敢えてこの国難を好機だと捉える思考と行動が重要だと確信しました。


震災直後、再び大規模システムトラブルを引き起こしたみずほフィナンシャルグループでは、みずほ銀行とみずほコーポレート銀行の統合や、頭取・社長経験者の特別顧問の引退、行政処分などが次々と発表されています。社内外の何処から見ても間違っていることを改めるのに10年以上掛っているという事態は、霞が関や永田町の出来事ならまだ多少は理解できるものの、民間のしかも一応は上場している会社での実態だと思うと、ただ呆れるばかりです。社内外の正論をひたすら粛清し続け、旧体制にしがみつき既得権益の甘い汁を吸い続けようとしてきた権力構造は、巨額融資や政策保有株式という形で、東京電力をはじめとする「原子力村」と固く結びついていました。


巨大銀行や電力各社だけでなく、日立、東芝のような原発メーカー、そして勿論、経産省とその下にぶら下がり点在する保安院等の原子力関連団体には、偏差値エリートが多数巣食っています。彼らの殆どが有事に際して無能力であり、人生の或る時期だけ、頭の器用さを発揮してレールに乗っただけに過ぎず、大企業や官僚組織は彼らのポテンシャルを削ぎ落としただけだったことを大衆の前に曝け出したことも、先述の「国難のなかの好機」であると、私は思うのです。


それでも巨大銀行には遅かれ早かれ公的資金が入るでしょう。これはやむを得ないことかも知れません。一方、証券会社やFX会社についてはどうでしょう。震災だけではない様々な改革や環境変化を経て、例えば我がフェニックス証券と、その桁違いのバランスシートを持つ最大手数社と比べて、倒産確率は比べ物にならないと6年前の社長就任当初は思っておりました。今はどうでしょうか。


個人中心の外国為替市場と規制強化という特徴で、我が国のFX業界は独特の進化を遂げて来ました。正直、金融業界の端くれだとは思いますが(笑)、銀行や大企業と異なり、努力が成果となって現れやすいFXという分野の特色は、より一層、業界側もユーザー側も喜んで共有すべきであると思われます。
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2011年10月18日火曜日

リスクヘッジに悩まされたモルガンスタンレーと零細トレーダーの夢と希望

大手外国銀行の四半期決算の内容が株式相場や為替相場に大きな影響を与える時期に突入しています。

しかし、洋の東西を問わず、大手銀行の決算の中身というのはよくわからないものです。

そのなかで、ウォールストリートジャーナル紙の記事
Hedges Haunt Morgan Stanley
Bets Backfire as Exposure to MBIA Dogs Wall Street Firm.
は、今年に入って株価を44%も下げたモルガンスタンレーの苦悩を鋭い切り口で描いています。
 
リーマンブラザーズが今のギリシャだと譬えれば、保険大手のAIGや信用保証の巨大企業MBIAはイタリア、スペイン級だったわけで、信用不安が蔓延して連鎖倒産によって世界金融がメルトダウンしていた可能性は大いにあったのです。
 
逆に言えば、そのメルトダウンが喰いとめられて現在に至っているように、現象的には、見えます。しかし、米国どころか世界を代表する第一級の金融機関であるモルスタが、夥しい金額の信用リスクについてMBIAへ「ヘッジ依存」してきたために「往復びんた」を浴びている姿からは、リーマンショックがいつのまにか収束していたという漠然とした印象を抱きがちな我々の目を覚まさせる実態が見え隠れします。
 
幸か不幸かリーマンショックが官民挙げての巨悪の相場操縦ではなかったこと、一流の人材を大量に集めて情報機関としても第一級の組織であっても相場を操縦するどころか逆に相場に翻弄されることがあるということ、などなど、多くのヒントを得られる記事です。
 
巨額の利益を上げ続けられるというのは本来不可能であり目に見えない(または敢えて隠された)リスクがあること、利益率は低い中小零細の組織であっても真っ向勝負を続ければ生きていく道があることも意味し、考えようによっては大変勇気を与えてくれる事実にも思えます。
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2011年10月14日金曜日

中国資本主義のメルトダウンが始まった

町工場のオーナー社長が高利貸しからの借金取り立てに敵わず夜逃げ、自殺が急増しているという事態をニューヨークタイムズが渾身レポートしています。

http://www.nytimes.com/2011/10/14/business/global/as-chinas-economy-cools-loan-sharks-come-knocking.html?_r=1&ref=global-home&pagewanted=all

「社員旅行に不参加ならば罰金だ」などという何だか高度成長期の日本の企業文化を彷彿とさせるような脅しで総従業員の休暇を強制したオーナー社長が、自分ひとりその旅行に参加せず、従業員が休み明け工場に戻ってきたら、工場のなかの設備が空っぽになっていてオーナー社長も行方不明になっていた、というエピソードから始まる長文の記事。

低価格による輸出競争力の縁の下の力持ちである筈の町工場を、大手国営の銀行は相手にせず、中小メーカーは高利貸しに日々の資金繰りを頼るしかないというのが中国資本主義の実態であるが故の悲劇が顕現化しはじめているとニューヨークタイムズは言います。

傾斜生産方式に端を発し護送船団方式によって温存された間接金融優位の金融制度が我が国独特の歪んだシステムであり、産業の二重構造と相まって戦後経済の復興と高度成長の原動力となった事実を顧みると、我が国には対岸の悲劇を笑う資格はありません。

機会均等が確保されていない資本主義がメルトダウンしかかっているのが、金融引き締めでバブル退治をせざるを得ない中で最大の輸出相手EUのスローダウンに直面した中国の姿であろうと思います。

ところで、機会均等が確保されていない点では日本も中国と五十歩百歩であり、その処方箋がセーフティネットの拡充であると誤解し続けているのが日本であるというのが私の意見です。
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2011年10月13日木曜日

ジョージ・ソロス氏のユーロ防衛発言は続くが・・・

ここ数カ月続いたユーロ危機が小康状態になった一週間ですが、この間フィナンシャルタイムズに幾度もユーロ防衛(応援)発言を繰り返してきたジョージ・ソロス氏。(ロンドン時間の)今朝も

「まだまだ(現在のEFSF合意だけでは)不安である。・・・

・・・地雷原を潜り抜けてユーロが守られるために各国首脳が取るべき手段はこの狭い道しかない」

という論稿をあげています。

不世出のヘッジファンドのマネージャーによる執拗なまでの「ユーロ圏はかくあるべき」発言は、自らのユーロ買い越し(かつまたは南欧系諸国の国債のキャリー)ゆえのポジショントークとも考えられ、だとするとこの1週間の戻りでもまだ満足できない水準だということでしょうか。

1997年のアジア通貨危機や、更に遡って1992年のポンド危機の時の振るまい、その背景に「通貨が売られるには合理的な理由がある」という正論染みた哲学と比べると、この間の氏のFTへの論稿には違和感を覚えました。

尤も、氏のポジショントークは、好意的に捉えれば、アジアやイギリスでやったことをユーロ圏(≒EU)で繰り返して三匹目のドジョウを狙うのは、世界平和の観点から洒落にならないという人道的な配慮とも見られなくもありません。が、いずれにしてもその中身は、その執筆意図に反して、何故この先もヨーロッパは危機と背中合わせなのかを明確に示しています。

氏が描いている処方箋を裏読みすれば、欧州の銀行は乾布摩擦をする予定だったのが、国立病院のなかで肺炎が蔓延してしまっているという状況のようです。
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2011年10月11日火曜日

ノーベル経済学賞にサージェント氏とシムズ氏

ウォールストリートジャーナルは、受賞者であるふたりの米国人の功績を、いわゆる合理的期待形成理論を打ち出したことだけにとどまらず、統計学の応用によって、マクロ経済学は、「サージェント=シムズ以前」と「以降」に分類されるほどだとの称賛を引用しています。

一方、フィナンシャルタイムズは、インフレターゲットや量的緩和(QE2などの時間軸効果)のコミットなど、中央銀行の政策目標がガラス張りであることの良し悪しについての分析において、このふたりの受賞者の研究成果が大いに役立つことを指摘しています。

財政・金融による恣意的な景気刺激策は、長期的には勿論、短期的にも意味が無いと説く、合理的期待理論は、レーガン政権下の経済運営に大きな影響を与えていた筈ですが、実際には、社会保障費などの削減以上に国防関係費が嵩むという経過を辿り、当時の米国経済は、オールド・ケインジアン的な枠組みで景気を回復させてしまいました。

80年代後半の我が国のバブル経済が崩壊してから、財政政策は平時経済では有り得ない程度の赤字を続け、昨今財政破綻の問題が起きている欧米諸国のどこよりも悪い水準に至るまでになっています。この20年間、合理的期待理論が日本経済の失速をどのように解説できるか?本質を穿つ難問ゆえ、別の機会に譲らせていただきたいと思います。

より現実的でわかりやすい実例は、リーマンショックからの米国経済の立ち直り、世界経済の立ち直りに、惜しみない財政・金融政策は、大いに貢献していたのではないかという観察です。幸いなるかな、労働市場も、金融市場の参加者も、サージェント氏が想定していたほど、合理的に行動はしていなかったということです。

しかし、それが長期的に、恒久的に有効ではない、、、、という至極当たり前のことが、欧米両側で発生している債務危機(ソブリン危機)です。

民間銀行の問題を国家権力(の協力)によって一時しのぎは出来た。が、問題の所在が国家権力のレベルに格上げされると難易度は比較になりません。

欧州通貨の相場については、一時しのぎで対円または対ドルで戻っているときは、売りから入るチャンスだと考えられます。収束にはかなりの時間を要し、相場の変動幅が大きい状況が意外と長く続くと予想します。
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2011年10月3日月曜日

ベートーヴェンとヘーゲルが同い年だったという浅田彰氏の指摘

止揚(アウフヘーベン)としてのユーロ圏

前回このブログにアップした「月刊FX攻略」の記事「為替力で資産を守れ」の“チラ見”(”立ち読み”)ですが、既に来月号の原稿を編集長にお送りしております。

やはり、ユーロ問題を、さらに掘り下げようと思って書きすすめた直近号の続編です。このなかで、「ユーロ圏」という統一通貨構想が、過去延々と民族間の対立・戦乱のなかで繰り返されてきた分裂と統一の長所短所の止揚(アウフヘーベン)としてぶち上げられたものではなかったかと、指摘いたしました。

止揚(アウフヘーベン)というのは、ヘーゲル(1770~1831)哲学(など)の弁証法(ディアレクティーク)で、相対立するふたつの命題(テーゼとアンチテーゼ)から、その矛盾を乗り越えて一段階上の命題(シンテーゼ)が作られる過程を意味します。

対立を乗り越えた和解のようなイメージです。

ソナタ形式と弁証法

10/1(土)11:00から、NHK教育テレビで再開した坂本龍一「音楽の学校(スコラ)」は、前回シリーズでバッハが取り上げられていたのを踏まえて、ハイドン(1732~1809)、モーツァルト(1756~1791)、ベートーヴェン(1770~1827)を中心とする(ウィーン)古典派の作曲家がテーマになっています。

この新シリーズ(シリーズ2)の初回は「古典派の歴史的位置づけと音楽的特徴」と題して、「ソナタ形式」とは何かについて、坂本龍一氏とその「仲間たち」である、浅田彰氏、岡田暁生氏、小沼純一氏と、作曲を勉強中の高校生たちとともに、探っていくという試みでした。

教科書的な音楽史には見られない斬新な切り口が各々の発言から読み取れ、30分ではとても足りないテーマながら凝縮した番組内容。その中で、特に注目したのが、浅田彰氏の指摘

「ベートーヴェンとヘーゲルが同じ年に生まれている。」

「ソナタ形式の大家と弁証法の大家の生涯が重なっていることは偶然とは思えない。」

「弁証法というと難しいが、ドイツ語の意味としては『対話』ということ。ソナタ形式も(第一主題と第二主題の)対話ではないか。」

というところでした。

浅田彰氏の名言の数々

実は、前回シリーズ(バッハ)で、岡田暁生氏が「ソナタ形式という音楽用語は、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン(たち)よりも後の時代の評論家が名付けたものである」と指摘していたのが印象的でして、ウィーン古典派の大家の3人が、形式を洗練しようとか守ろうとかいう意識と、第一にパトロン(スポンサー)や一般聴衆の信認を得たいという意識と、どのように混在していたのかハッキリしないのです。

以前ブログで譬えに使った俳句の五七五と似ていると思います。

つまり、才能を発揮したい、才能を認めて貰いたい、その結果として名声と生活を確立したいという動機がない筈はない天才作曲家たちが、過去の巨人の形式を(、、、敢えて、または知らず知らずのうちに、、、)踏まえたうえで、独創性を訴えたいというのは、矛盾した、二律背反した、苦しい作業のようにも見えます。

この矛盾をあっさり読み解きたいと思い、浅田彰氏の切り口を振り返ってみることとしました。

浅田彰氏は知の巨人であり名言の天才です。まず、ウィキペディアによれば、

「財務省のエリートは、数学か経済学の博士号くらいは持っていて、5時にはサッと仕事を切り上げて小説を執筆するなりオペラを鑑賞するというスタイルを持つレベルであってほしい」

と述べているそうです。ほんとうにおっしゃるとおりであり、勿論、能力が低いから残業しているわけではないとわたしは推測していますが、政治主導だけでなく、人事院主導でも、この国の行政はずいぶん良くなる余地があると思います。

勉強しろ!!!ということで言えば、昭和59年(西暦1984年)の春、大学の入学式の直後の学部の茶話会で、氏は新入生に向かって、

「女遊びなどは半年一年ガンガンやれば飽きる。早く飽きてしまって勉強してください。」

という発言がありました。ご本人は覚えていらっしゃるかどうか判りませんし、また、ご本人がそのような時期に飽きるほど集中的にお遊びになったのかどうかも判りません。

勉強好き(だが商売が苦手)なわたしにとっては、これまた我が意を得たりという名言ですが、今日の日本の状況では、飽きるほど集中的に遊べる男性諸氏は殆ど皆無に近いと推察されます。

ところが、需要があるところには供給があるものです。個室ビデオ鑑賞なるものが町のどこにでもある。こんな国は、わたしが知る限り、日本だけではないかと思いますが、何かと閉鎖的と言われるこの国も、外食産業など一部のサービス分野には自由主義経済の良い面が発揮されているのです。

第一主題と第二主題は陰と陽の関係だったりする(坂本龍一)

何が言いたいのかと言うと、、、、殆どの男性は、場所は兎も角、「鑑賞としての遊び」を経験しているわけであり、恐らく複数のソフトというかコンテンツの経験があると想定されますが、毎月夥しい数量の新作ソフトが供給されて、もう何十年にもなる歴史の中で、よくよく考えてみると、中身の細かいところは兎も角、骨格としての進行パターンは殆ど変わらないことに気づかされます。

それと、ソナタ形式と、どう符合するのか!?

当ブログはアダルトサイトではないので、またそのような事業主との資本関係もございませんので、此処から先は御想像にお任せすべく、読者のみなさまの宿題とさせていただきます(笑)。

ひとつ大事なことは、その類のソフトの進行パターンは、こうでなくてはならないと、業界団体(≒自主規制機関)で、頭ごなしに決めつけているものでは決してないこと。パターンを踏まえようという意識よりも、夥しい過去のストックや新作のなかで埋もれないように、新しいこと、独創的なことをやりたいという意識のほうが、制作側にはずっと強いと思われること。。。

このような意識のバランスだとか、生存競争という環境だとかは、ソナタ形式と向き合っていたクラシック作曲家たちと意外なほど共通するものであったと想像しています。

2011年9月29日木曜日

月刊FX攻略11月号、もうお買い求めになりましたか?

雑誌ですので1ヶ月程度前に書かせていただいた原稿ですが、今まさに焦点のユーロ問題について書いております。

立ち読み程度に・・・

ヨーロッパではギリシャに端を発した財政危機が桁違いに病巣の大きいイタリアとスペインに蔓延したことで、ユーロが導入以降最悪の危機に直面しました。一方、米国では、すったもんだの末、米国債の発行上限の問題を議会がクリアしたものの、その直後の米国債格下げ(スタンダード&プアーズ)で基軸通貨(?)ドルの存在感を取り戻し損ないました。金融市場が大混乱したなかで、日本は前人未到の円高のお盆を迎えています。

(中略)

ひとつはサブプライムを一例とする詐欺的手法でレバレッジされた不動産バブル、もうひとつはユーロという通貨統合によって期待された不動産バブルに過ぎず、その宴のあとの後始末の厄介さの本質は、日本の90年代、2000年代と変わらず、しかもどうやら欧米のほうが重症なのではないかということです。

(中略)

財政出動やらイカサマの銀行ストレステストなどで約3年誤魔化してきましたが、財政も破綻気味、金融機関も破綻気味となると、もうあとは本質に回帰するしかない、つまり「清貧の思想」を国民に要求する意外にないのです。これが受け入れられるかどうかは人生観、文化の違いが大きいでしょう。日本はいまのところ例外的な国家のひとつのようですが、多くの先進国や新興国では暴動がまだまだ多発する恐れがあるのです。」

是非書店等で手にとってご覧になってください。定期購読に値する月刊誌です。
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2011年9月12日月曜日

普天間問題と福島第一原発事故は根っこが一緒だ

原発推進派にとっても反対派にとっても要チェックな映像を昨日2件見ることができました。

いずれも度々再放送されていて反響の大きさを物語っていそうなものの、政治も、新聞や地上波など大衆低俗メディアも何処吹く風なのが残念無念。

ひとつは、NHK「ETV特集」『アメリカから見た原発事故』。

福島“第一”原発”など”で使われているGE(ゼネラルエレクトリック)社の原子炉モデルが粗悪品であり(核平和利用のための)試作品として日本に押し売りされた経緯があることを、元GEの幹部や、同モデル(マークⅠと呼ばれる)使用停止を会社に訴えて辞表を提出した元技術者へのインタヴューなどで解き明かしていった番組です。

4月に、日系アメリカ人で同様の勇士がいたというニューヨークタイムズの記事を御紹介して大反響だったこともありましたっけ。

原発事故以来、「ディーゼルエンジンの非常用電源が巨大津波の際には動かなくなってしまう」という点についての設計上のミスを指摘する報道は、地上波レベルでも度々ありました。

このETV特集が出色なのは、後発モデルではありえない、「圧力容器と格納容器の狭間を出来るだけ狭くして製造コストを節約していた」こと、その設計では米国の安全基準を満たさなくなったので米国でのGEのマークⅠ事業は全て赤字だったが、日本は「言いなり」だったのでGEは大儲け出来たこと、格納容器の大きさをケチった代わりに「圧力抑制プール」という工夫で安全を補うというのは《水素爆発を抑制するという観点からは》絵に描いた餅である点などの指摘と告発です。

さて、告発と言えば、ディスカバリー・チャンネルの「チェルノブイリ 連鎖爆発防止」もまた、民間出資メディアがよくここまで取材し、またこんな映像がよくぞ撮影され保存されていたと驚きました。

このドキュメンタリー番組のなかで最も注目したいのはIAEA(国際原子力機関)が巷間言われる「核の番人」どころか、原子力村マフィアの元締めに過ぎない実態を暴露した点です。

チェルノブイリ事故の直後に説明なく召集され事態収束のために働かされた炭鉱夫や兵士やウクライナの一般市民などが短い期間に何万人という規模で命を落としたり体力消耗で廃人同然になっている事実を、当時ソ連の原子力担当幹部がIAIA本部の総会で報告したものの闇に葬られ、一ケタ小さい数字に書き換えられ、同幹部が何故か自殺に追い込まれたというエピソード。

ところで、冒頭の「普天間問題と福島第一原発事故とは同根」という思いは、一昨日のNHK総合テレビ「マイケル・サンデル 究極の選択『震災復興 誰が金を払うのか』」という、日米中の最高学府などの学生などが頭の悪さを競うという欲求不満な討論番組がありまして、そこで上海の女子学生のひとりが「わたしは原発には賛成だが、自分の家の近所に建てられるのは嫌だ」という発言にマイケル・サンデル先生が噛みついたところから出てきたものでもあります。
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2011年8月17日水曜日

経営統合の予感

今朝のウォールストリートジャーナルは、「When Google Meets Moto」と題して、モトローラ役職員へのインタビューに基づいて、グーグルによる同社への株式公開買付発表のフォローアップ、買収する方とされる法の企業文化の違いを解説しています。

When Google Meets Moto

一緒になるのが宿命だった両者が、長年、企業文化や風土の著しい違い(かたやハードウェア会社で官僚的、かややソフトウエア会社で自由奔放、それに知能指数の違いが20!?などなど)ゆえに擦れ違ってきたが、それを乗り切って云々、、、ということで、日本でも90年代初頭に大ヒットした映画「恋人たちの予感」(原題は「When Harry Meets Sally」)の、おそらくHarry(ビリー・クリスタル)=Google、Sally(メグ・ライアン)=Motorora(Mobility)と擬えて、残念ながら余り綺麗に韻は踏んでいませんが、書かれたこじつけ記事(しかしそれなりに面白い)です。

もうひとつ残念なのは、「恋人たちの予感」の配給元は20世紀フォックスですから、WSJと同じく、今最も話題のルパート・マードック帝国の一員なのです。

この記者は出世のツボを押さえていると言えるでしょうか!?
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2011年8月16日火曜日

Google Rush と Gold Rush

今朝のウォールストリートジャーナルフィナンシャルタイムズニューヨークタイムズはグーグルによるモトローラ(・モビリティ・ホールディングス)への株式公開買付発表のニュースで持ち切りです。

買収予定金額125億ドル(金曜日の終値比63%ものプレミアム)は、同社によるユーチューブ買収(当時非公開)や、マイクロソフトによるスカイプ買収(同じ)同様またはそれら以上に驚くべき数字であり事実です。

そんななか、常に味のある報道で定評のあるニューヨークタイムズは、オーストラリアにおけるゴールドラッシュの模様を伝えています。中国に次ぐ第二の金生産国であるオーストラリアでは巨大企業による鉱業生産の傍ら、主としてこれまでは定年後の趣味で片田舎で《砂金》を集めるひとたちが居たらしいのですが、今年だけで23%も急上昇した金価格に釣られて、これまでとはケタ違いの人達、それも若者やシドニーなどで高収入を得ていた人達が定職を捨てて群がっている。《砂金》ツアーも急増しているが、週末だけ趣味程度に来ているのではなく片田舎の村に定住する人達が爆発的に増えているのだそうです。
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2011年8月15日月曜日

日本橋さくら通りの桜の幹が余り太くない理由


フェニックス証券は外堀通りと日本橋さくら通りの角のあたりにあります。

東京駅八重洲北口の中心街とも言える日本橋さくら通りには外堀通りからの入り口付近に石碑があります。これによりますと、

☆通りの桜の木は昭和10年に植えられた。

★ところが、昭和20年3月の大空襲で、町とともに灰燼に帰した。

☆爾来10年有志が復興への意欲で力をあわせた結果、昭和31年に桜並木が復活した。

とのことです。外堀や内堀の土手に植わる桜の大木に比べて、幹が細い桜並木の正体は、ビル陰で日照量に恵まれないことだけではなさそうです。戦後は遠くになりにけりとは必ずしも思えない、66回目の敗戦記念日です。
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2011年8月12日金曜日

空売り規制では金融危機は収束できない

3年前に「裸の空売り」という記事を書きました。

http://phxs.blogspot.com/2008/07/blog-post_16.html

Naked Short Salesとは、空売りをする時点では、現物株の仮株の手当てがまだなされていないものを指します。記事当時のファニーメイやリーマンなど巨大金融機関だけでなく、アジア通貨危機のときのアジア諸国など、直ちに換金が出来ない固定資産を巨額の借入(レバレッジ)で支えている巨大かつ歪なバランスシートというものは、その資産を売り急いだ場合には、バランスシートの価値(ファイヤーセールス・バリュー)が著しく不当に低い評価を受ける、それは可哀そうではないか、という観点から、しばしば規制当局によって正当化されるものです。

昨夜これがフランス当局によってBNPパリバやソシエテジェネラルなど大手上場金融機関の株式について発動されました。これが上記理由に照らして正当かどうかの侃侃諤諤(かんかんがくがく)は敢えて措き、その効能について考えてみましょう。

3年前に書いた記事は、2008年7月のものです。つまり、リーマンショックはその2ヶ月後なのです。ハゲタカファンドや投機筋や規制、金融行政だけのせいには、リーマンショックは出来ないと考えるべきでしょう。

空売り規制は金融危機を収束させるものではなく、むしろより本格的な危機の前兆くらいの場所に位置すると予想します。

後々、「S&Pショック」と命名されるかどうか良く判らない今月の金融市場の混乱は、

①主役である米国債が暴落しているわけではないこと、

②大暴落した株価が反発に転じたきっかけは中央銀行による国債購入など金融緩和政策の拡大の発表でした(米国だけでなくイタリアとスペインについても然り)が、財政規律という本筋の問題を根治する処方箋とは読み取れないこと、

③では国債も株式も通貨も皆駄目だったら商品(先物)が全面高かと言えば、金を除いて大暴落であること

などなど、理屈では説明がつかないことだらけです。

リーマンショック後は、紆余曲折を経て、「ウォールストリートの不始末でメインストリートに迷惑をかけたのだから財政出動は当然」という議論に、軍配が上がりました。

2008年から2011年にかけて、「先進諸国」の政界と経済界は、リーマンショック以前の生活水準を維持するために、金融を財政でカバーしうるとの前提のもとになりふり構わずやってきたわけですが、やはりそれは無い物ねだりだったと判り始めたことが、この8月危機の本質なのではないかと疑っています。

金融危機をボラティリティで測るならば、昨年5月のギリシャショックは、今年3月の震災(というよりも原発事故)直後の危機より遥かに長かったわけですが、今回の仮称「S&Pショック」はそれよりも長引く可能性が十分あると考えられます。
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2011年8月8日月曜日

腐った組織の愚かな連中

事務次官など3人が「更迭」(←日本語が乱れ切っています!)された霞が関の某お役所その他原子力村の住民たちのことではありません。

リーマンショックの年にノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマン教授がコメンテーターを務めるニューヨークタイムズ紙のなかの「御意見番コーナー」、、、というかブログのなかで、S&Pによる米国債格下げの報道をうけての一言コメント。

「明らかなことは、我々は(週明けの東京市場がどうなるかなどを案ずるために・・・七転び八起き注)、腐った組織に属する愚かな連中がいったい何をどう考えているのか程度のことに気を配ろうとしていることだ。」

http://krugman.blogs.nytimes.com/2011/08/06/the-best-summary-of-the-sp-downgrade/

リベラリストの同教授が断言するように、債務危機の問題があるのであれば、中央銀行が米国債でもイタリア国債でもスペイン国債でも迷わず買えば良いだけの話だ、、、という意見に、わたしは100%賛成であるわけではありません。

しかし、同教授が上記一言コメント以降に長文のブログを更新しているなかで述べているように、企業が発行する債務(社債など)への格付け審査や発表の実態もさることながら、国家の債務についての格付け機関の態度が馬鹿げていることについては賛成です。

かつて日本も、週末ではなくて週央の日中に、大手米系格付け機関に格下げの不意打ちを食らい、国債市場が大混乱したことがありました。もちろんそれ以降も日本の財政規律は改善するどころか悪化する一方ですが、あの格下げの意味はなんだったのか。いや、何の意味もなかったことを、今回格下げを「演じた」格付け機関も、格下げをしないと「発表」した格付け機関も、同様に論理的に反省すべきです。

米国債を「格下げしない」と「発表」した格付機関も同様に愚かしいことについてはちょっと解説が必要かも知れません。例えば、東京電力の発行する社債はついこの間まで日本企業のなかでトップクラスでしたが、社債には満期まで数年と短いものから、20年またはそれ以上の長いものがあるにもかかわらず、社債格付けは同一なのです。では格付け機関は、格付け審査をしている企業や国家が発行している債務のうち最も満期が先のものまでその償還能力が等しく高いと推定して高い格付けを付与しているのでしょうか。そんなことはないのです。

エンロンでもサブプライムでもそうでした。格付けを下げるという行為は、格付け機関の存在感や影響力を誇示している側面として取り上げられるようですが、実は、生命保険会社に譬えれば、生命保険の契約者が死亡したのに保険会社側に義務のある健康診断がちゃんと行なわれていなかったことを免責事項としてでっち上げて保険金を不払いにするような犯罪でありまして、保険金不払いにも色々あるでしょうが、こんなひどいことはさすがにないと思っているのはわたしだけでしょうか。
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2011年8月3日水曜日

イタリア国債の問題は桁違いに深刻

「市場には二つのタイプの参加者がいる。恐怖で動いている参加者と欲望で動いている参加者である。

現在、イタリア国債やスペイン国債の流通市場で観察されている現象は、、、どちらのタイプの参加者も同じ方向(≒売り逃げ)で動いてしまっていることである」

ニューヨークタイムズ紙の記事の特徴は、まず何と言っても文章が長いことですが、もうひとつは記事の結びに取材先からのコメントを格言のように取り出して締めくくっていることです。

米国債の発行額上限問題が何とか解決したとたんに、狼(おおかみ)は再びヨーロッパ、特にイタリア、スペインの扉を叩いたという趣旨の同紙の記事を締めくくっているのは、あるヨーロッパの財務担当高官の匿名のコメントです。

ヨーロッパの主要銀行が保有しているイタリア国債の額は33兆円を超えており、先ごろ問題だったギリシャの国債の30倍以上のレベルとのこと。どの銀行がどれくらい保有しているか、記事に詳細があります。

http://www.nytimes.com/2011/08/03/business/global/pressure-builds-on-italy-and-spain-over-finances.html?pagewanted=1&_r=1&ref=global-home

大手金融機関のビジネスモデルという点で言えば、一昨日発表された英HSBCの大規模リストラの発表は、世界規模での金融ビジネス縮小の前触れに過ぎないという一面を表しています。

一方、大西洋の両側で繰り返される国家債務問題は、通貨発行権限(シニョレッジ)や財政金融政策の独立性(ソブリニティ)を超えたグローバリゼーションに内在する問題の深刻さも如実に物語っています。
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2011年7月20日水曜日

最新鋭FXシステム導入に関するお知らせ

このたび、フェニックス証券株式会社(東京都中央区(外国為替部門)、代表取締役社長:丹羽広)は、外国為替証拠金(FX)取引システムを全面刷新することを決定し、日本を代表するシステムインテグレーターであるNTTコミュニケーションズ株式会社(本社:東京都千代田区、代表取締役社長:有馬彰)との間で、新たにFXシステムの利用に関する契約を締結することと致しました。


新システムは、超高速・高信頼のFXトレード・プラットフォーム「U-FOREX1」を採用し、リッチクライアントはもちろん、iPhone/Android、タブレットなどの複数のトレードチャネルを標準装備とした業界最新鋭のシステムとなります。なお、提供開始は2011年10月初を予定しております。


また、新サービス導入に伴い、お客様には、現行の外国為替証拠金(FX)取引サービスであるフォレックス・ラインから新サービスへの口座移管(証拠金およびポジションの移管)プログラムをご用意する予定です。


現在、FX業界は、レバレッジ規制や、震災後の金融市場混乱を引き摺った取引低迷などで、全体として不振な状況が観察されているなか、フェニックス証券は、敢えてこの環境をチャンスととらえ、FX事業開始後最大規模のシステム投資を行なう決断に至りました。


既存のお客さまをはじめ、ひとりでも多くのお客さまに、フェニックス証券の最新取引システムを御利用いただければと考えております。

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商号:フェニックス証券株式会社(金融商品取引業者)
登録番号:近畿財務局長(金商)第34号
加入協会:日本証券業協会、社団法人 金融先物取引業協会(会員番号1097)

<本件に関するお問合わせ先>

フェニックス証券株式会社 東京支店
TEL:03-3517-1953 E-mail:info@phxs.jp


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2011年7月19日火曜日

ブラームスとプロコフィエフを結ぶ線

例えば、俳句だと、五七五とか、季語をひとつだけ入れるとかの形式があるが、それに囚われず、自由に感動を与えれば良いという立場があります。逆に、形式という制約のなかで感動を与えることに意味があるという立場もあります。

極端にどちらかの立場だけが正しいというものではなく、好き好きなのでしょう。形式という制約も、特定の権力者や権威者が下々に押しつけたものではなく、長年、人間の生理に叶うものとして選ばれ続けられてきた伝統なのだと思われます。

ブラームスやプロコフィエフは、少なくとも或る時期は、どちらかと言えば、形式や伝統にも守るだけの意味があるという考え方で名曲を紡いだ立場の作曲家だったと、「父ハイドンを尊敬した作曲家二人」という趣旨の、一昨日日曜日のN響アワーで説明をされていました。紹介されていた曲は、ハイドン最後の交響曲(第104番「ロンドン」)と、プロコフィエフの最初の交響曲(ロシア革命の年に書かれた「古典交響曲」)、ブラームスが自らの管弦楽技法に自信を持ち「交響曲第一番」の完成へとラストスパートをかけるきっかけになった「ハイドンの主題による変奏曲」です。

プロコフィエフの「古典交響曲」はその第三楽章「ガヴォット」が同番組のオープニングテーマに現在は使われてもいます。

親しみやすい曲ながら、奇妙な転調が続く同楽章は、同時代の作曲家でプロコフィエフの葬儀委員長も務めたカバレフスキーが子どものために書いた「子どものためのピアノ小曲集」にしばしば登場する、決して子ども向けっぽくない、和音進行と良く似ています。

そこでは、前回のブログ、愛の調べの第二楽章で、再度ご紹介したメディアンテが中心的な役割を担っています。

土曜日のオーケストラーダの演奏会は、目の御不自由なお客さまも大勢招かれていて、個性的な演奏会となり、初回公演として大成功でした。プログラムの中心がブラームスの交響曲第一番で、アンコール曲はプロコフィエフの「古典交響曲」の第三楽章「ガヴォット」だったのです。

最近、商業的には大流行している派手なパフォーマンス(だけ)が持ち味の売れっ子指揮者とは一線を画した久保田昌一さんの棒を、素人目で勝手に解釈すれば、クラシック音楽の原点に戻る強い決意の表れだと感じました。プロコフィエフの「古典」をアンコールに選んだ理由も、「新鮮な」原点回帰という含意なのではと勝手に憶測しています。
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2011年7月14日木曜日

愛の調べの第二楽章

【広告】Orchestrada(オーケストラーダ)第1回演奏会
プログラム:ブラームス/交響曲第1番ほか
2011年7月16日(土) 18:00開場 18:30開演
第一生命ホール(晴海トリトンスクエア内)
詳細はコチラから

ブラームスが作曲した交響曲第一番は、それまでの交響曲には無かった画期的な音楽です。

わたくしが、Orchectrada(オーケストラーダ)の指揮者セミナーで勉強したのは、主として第二楽章ですが、その前提として、各楽章の間の関係を見ると、過去の伝統的な古典派音楽にはあまり(※)なかった性質・・・つまり、モーツァルト(の偽作疑惑のない後期の交響曲)やベートーヴェンのほぼすべての交響曲は、第一楽章と第三、四楽章の調性(例えばハ長調)が統一されていて、第二楽章はその下属調(例えばヘ長調)などの近親調が採用されています。ベートーヴェンの有名な第九やシューマンの交響曲の一部にはこのパターンに100%従わない作品もありますが、近親調でない調性(=遠隔調)で出だしたり終わらせたりする楽章は見られません。

近親調ではない遠隔調の代表が、去年の今頃、ブログにアップした「愛の調べ」も転調が妙薬に~シューマンの職人技 でご紹介した、臨時記号(♭や♯や♮)を一度に4つ加減するもので、曲想がガラリと代わり、世界がワープしたような感じをもたらずものです。これを専門用語でメディアンテというそうですが、検索してもあまり出て来ません。

ブラームスの交響曲第一番は第一楽章がハ短調(♭3つ)からハ長調(臨時記号なし)、第二楽章がホ長調(♯4つ)、第三楽章が変イ長調(♭3つ)、第四楽章が最初の楽章と同じくハ短調からハ長調となっています(途中の更に細かい転調は省略)。隣同士の調性の関係がすべてメディアンテという遠隔調の関係にあることがわかります。

わたくしたち日本人は、ベートーヴェンの交響曲第五番(運命)や同第九番(合唱付き)、チャイコフスキーの交響曲第五番のように、「暗から明へ」「苦悩を突きぬけて歓喜へ」という展開を持つ管弦楽曲が大好きです。ブラームス一番も、この類に属しますが、「苦悩から歓喜へ」という展開は、実は第一楽章と第四楽章を直接につなげたハ短調-ハ長調の世界に属しているのであって、第ニ、第三楽章は、この軸とは別世界で違う何かが行なわれているようです。



第一楽章と第四楽章が現実の苦悩や試練だったり解脱や勝利だったりを表現していて「舞台」が屋外に設定されているとするならば、第二楽章と第三楽章は現実に対する夢の世界であり「舞台」の設定は部屋の中と言えるくらい別世界です。

上述のブログでテーマに掲げた「愛の調べ」は、ブラームスとシューマン夫妻の「三角関係」を敢えて美化した名画であります。一方、この第二楽章はオーボエ独奏が印象的で、オーボエ登場前のアンサンブルは風景というか背景に感じられます。第一楽章が絶対音楽としての交響曲の真骨頂であり音楽そのものが主役であるのに対して、第二楽章の冒頭部分は映画音楽のように音楽そのものは脇役です。その中に登場するオーボエは、あたかもブラームスが夢の中に見たクララ・シューマンなのかも知れません。それは決して現実化出来ない夢限定の喜びなのですが、ブラームス本人に心地よく聴こえたオーボエの主題は、弦楽アンサンブルがシンコペーションのアンサンブルを刻み続ける箇所で変容します。8小節ほどの新しい主題のなかで、メロディ主導で調性がホ長調から変イ長調に変わるのは、クララの目線がブラームスからロベルトへと180度翻る瞬間であり、シンコペーションの連鎖はシューマンの音楽の象徴なのではないかと。

例に暇はないですが、シューマン作曲の歌曲集「リーダークライス 作品39」のなかの二曲目「間奏曲」は代表的な名曲であり、強拍と弱拍の入れ替わりという、シューマン音楽の個性であり、第二楽章のオーボエ第二テーマの特徴そのものであります。



第二楽章の終結部分のバイオリンソロとユニゾンするオーボエとホルンはシューマン夫妻であり、バイオリンソロはブラームス本人の悲しみを、より深いビブラートが反映しているように思えます。

勿論、絶対音楽の解釈には正解はなく、さらにはバーンスタインのように、このようなストーリー付けすること自体がナンセンスだという考え方も間違いではないと思います。

(※)5つ以上の楽章を持つ小編成アンサンブル曲ではモーツァルトはすでに「メディアンテ」を使用している例が見られます。
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2011年7月12日火曜日

イタリアを汚染したギリシャ危機



何が起こったのか?フェニックス証券の海外マーケットレポートです。
http://phxs.jp/popup.php?type=market&id=2544

ニューヨークタイムズ紙はイタリアで発生しつつあるパニックについて「ギリシャ危機がドミノ倒しだとしたら、イタリア危機は『煉瓦(れんが)倒し』だ」と譬えています。

ギリシャのように小国でない分、米国の銀行を筆頭に、イタリア国債を大量に抱えている海外金融機関が多いことも、連鎖反応を過激化させる要因となります。

資本主義のブラックボックスは、その牽引役のはずの、銀行や国家が、たいした根拠がない「安全神話」で大量の借金を可能にしている実態にあります。世界から戦争が無くなることがないように、取り付け騒ぎ(run)や恐慌(panic)を根絶することは不可能に近いと言えます。

「安全神話」という砂上の楼閣で惰眠を貪る旧態依然としたビジネスモデルの寝首をかくのがヘッジファンドのお仕事です。

フィレンツェの街とともに繁栄を極めたメディチ銀行は数百年で破綻倒産しましたが、だいたいその頃に、同じくトスカーナの重要都市シエナに誕生したモンテパスキ銀行
http://english.mps.it/
は、ヨーロッパ最古の銀行として、いまだに地方金融の要をになっています。昨夜のイタリアのパニックについて、ただいま公募増資中なのに水を注された同行は、犯人を「投機筋」だと断言しています。
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-22140520110711

兎にも角にも、深夜一時は1.4台を割り込んだユーロ(対ドル)はどうなるのでしょうか?

ギリシャ危機の再燃は、昨年5月のような相場変動をもたらさなかったと、今年の4~6月のボラティリティを見る限り、言えました。実際には、ギリシャ国債の利回りや同国のクレジットデフォルトスワップは、昨年5月よりも上昇(悪化)していたにもかかわらず、です。市場は常に新しい局面や材料を求めます。当ブログの「アホの一つ覚え」の一つ「ボラティリティ対キャリートレード」という対抗軸で欧州通貨を見れば、ボラティリティの側に綱引きの綱が久しぶりにぐいっと引き寄せられたのが昨夜のイタリアだったのではないでしょうか。

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2011年7月5日火曜日

オンライン上の90%の消費者は、知り合いからのおすすめを信頼する

CNETJapanにおける杉原剛氏の論稿

競合しつつも親和性の高いGoogleとFacebook--「SMX Advanced Seattle 2011」参加レポート

のなかで、Facebookの「いいね!」機能のGoogle版であるGoogle+1機能の開発担当者の言葉が紹介されています。

曰く、「オンライン上の90%の消費者は、知り合いからのおすすめを信頼する。」

また、「コンバージョンの71%はオンラインでのレビューが理由で発生する。」

なるほどです。日本においてだけはグーグルをブログのプラットフォームにするひとが少ない中で敢えてグーグルを選んだわたしの役特があるのかどうか色々と試してみようと思います。それとわたしが属しているFX業界でいまホットな話題がアフィリエート広告規制。「金融商品」においては「いいね!」をおカネで買ってはいけなくなると思うのですがどうでしょう?
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