2011年6月6日月曜日

原発全廃を決めた独メルケル首相のスピード感

対岸の火事だと放置しても良さそうなドイツで全原発一時停止が決定された頃、爆心地の我が国では浜岡原発ひとつ止めることが出来ていませんでした。反原発(わたしもそのひとり)の一部からは、菅首相のリーダーシップの欠如を指摘する声があった一方、一転して浜岡停止の勧告(命令ではなく「お願い」)に際しては、自民党や経団連から「根拠を示せ」という批判、地元自治体である御前崎の町長からは「相談がない」との恫喝がありました。

日本のリーダーは誰がやっても大変だというのは、いよいよ、国民のコンセンサスになってきていると、菅総理退陣「示唆」後の世論調査でハッキリとしてきています。

この前後、メルケル首相率いる与党は、(反原発へと政策転換したものの)地方選挙で緑の党など野党に惨敗したのに対して、我が国では統一地方選などでエネルギー政策が争点としてそれほど注目されずに民主党系は惨敗、むしろ原発推進派の首長の当選が目立ち、その究極が、昨日の青森県知事選挙でありました。

さて、ドイツと日本は、なんとなく、似ている国だという印象を持っている方々が少なくないのではないでしょうか。わたしもそのひとりでした。製造業を中心とした加工貿易立国、労働者の権利が強い終身雇用制度が残っている珍しい国であり、何と言っても、熱狂によって議会制民主主義が否定され全体主義が支持された結果、第二次世界大戦で共に闘い共に破れた「仲間」であります。

しかし、敢えて情けないと書かせていただきますが、青森県の結果は、ドイツと日本の大きな違い、地方分権の歴史がドイツは長く、日本はゼロであること、前者はそれにより統一の遅れ、植民地戦争への参加が英仏に遅れたことが、19世紀から20世紀前半の大きな不幸の原因でもあったわけですが、首都一極集中というイギリス、フランス、日本のようなことになっていない点は、反原発の草の根運動が広がりやすい要因のひとつだと思われます。

(ちなみに、どうでもよいことですが、ビール工場ひとつとっても、日本と異なり、ドイツは一極集中しておらず、地域分散、地産地消が原則である点、申し添えます)

もうひとつわたしが「珍説」として指摘したいのが、雇用制度です。前述の如く、雇用制度(≒労働法制)ではドイツと日本は何となく似ているのではなかったかと書きました。どうやらこれが最近大きく変わって来ているようです。

日本では、非正規雇用の割合が増えたことは、逆に大企業などの正規雇用された社員の既得権益を不健康にまで高め、同一労働同一賃金の必要性が今日問われているところです。

ドイツでも終身雇用が完璧に崩壊したわけではありません。が、もともと、「正社員」の解雇には、日本のような異常な制約はないようです。
http://www.jetro.go.jp/jfile/report/07000115/0908R3.pdf
詳しく書く余裕はないですが、ホワイトカラーにはホワイトカラーなりの雇用の流動性が、ブルーカラーにはブルーカラーなりの雇用の流動性が確保されているようなのです。ただし雇用改革は道半ばとの声もあります。

ドイツの雇用改革が道半ばだとしたら、日本で、大企業正社員が既得権益を保持しつつ、派遣や請負など一部だけ自由化を進めてきたのは、改革に逆行していたと言わざるを得ません。

このようなことをわたくしが考えるきっかけになったのが、土曜日夜CSで放映されていた朝日ニュースターの「ニュースに騙されるな」のなかで慶応義塾大学の金子勝教授が「東京電力の社員でも経産省の役人でも若手中心に半分くらいは『原発は良くない』と思っていると思うが、立場上言えないだけではないか」と発言していたことです。

有能な(または自身のある)ビジネスマンやテクノクラートが言いたいことを(実名で)言い、その結果、そのときの雇用主と反りがあわなくなっても或る程度簡単に新しい雇用主を探せるようになれば世の中は大きく改善するでしょう。

雇用主からすれば、クビにしやすい制度ほど、雇いやすい制度なのです。

役所にせよ大企業にせよ、或る程度の学歴がないと入れない組織というものは、かつての秀才たちを、何十年か掛けて、転職しようとしても使い物にならない社畜にしてしまうところがあり、残念なことに未だにこんなことをやっているのは、世界広といえども日本だけになりつつあるようです。

地震や津波や原発事故の被災者や犠牲者のみなさんの苦労や魂に報いるために最も大事なことは、正しいことを、立場を問わず、主張できる社会の枠組みに日本の社会を大転換することではないでしょうか。
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