2011年7月19日火曜日

ブラームスとプロコフィエフを結ぶ線

例えば、俳句だと、五七五とか、季語をひとつだけ入れるとかの形式があるが、それに囚われず、自由に感動を与えれば良いという立場があります。逆に、形式という制約のなかで感動を与えることに意味があるという立場もあります。

極端にどちらかの立場だけが正しいというものではなく、好き好きなのでしょう。形式という制約も、特定の権力者や権威者が下々に押しつけたものではなく、長年、人間の生理に叶うものとして選ばれ続けられてきた伝統なのだと思われます。

ブラームスやプロコフィエフは、少なくとも或る時期は、どちらかと言えば、形式や伝統にも守るだけの意味があるという考え方で名曲を紡いだ立場の作曲家だったと、「父ハイドンを尊敬した作曲家二人」という趣旨の、一昨日日曜日のN響アワーで説明をされていました。紹介されていた曲は、ハイドン最後の交響曲(第104番「ロンドン」)と、プロコフィエフの最初の交響曲(ロシア革命の年に書かれた「古典交響曲」)、ブラームスが自らの管弦楽技法に自信を持ち「交響曲第一番」の完成へとラストスパートをかけるきっかけになった「ハイドンの主題による変奏曲」です。

プロコフィエフの「古典交響曲」はその第三楽章「ガヴォット」が同番組のオープニングテーマに現在は使われてもいます。

親しみやすい曲ながら、奇妙な転調が続く同楽章は、同時代の作曲家でプロコフィエフの葬儀委員長も務めたカバレフスキーが子どものために書いた「子どものためのピアノ小曲集」にしばしば登場する、決して子ども向けっぽくない、和音進行と良く似ています。

そこでは、前回のブログ、愛の調べの第二楽章で、再度ご紹介したメディアンテが中心的な役割を担っています。

土曜日のオーケストラーダの演奏会は、目の御不自由なお客さまも大勢招かれていて、個性的な演奏会となり、初回公演として大成功でした。プログラムの中心がブラームスの交響曲第一番で、アンコール曲はプロコフィエフの「古典交響曲」の第三楽章「ガヴォット」だったのです。

最近、商業的には大流行している派手なパフォーマンス(だけ)が持ち味の売れっ子指揮者とは一線を画した久保田昌一さんの棒を、素人目で勝手に解釈すれば、クラシック音楽の原点に戻る強い決意の表れだと感じました。プロコフィエフの「古典」をアンコールに選んだ理由も、「新鮮な」原点回帰という含意なのではと勝手に憶測しています。
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