2011年10月31日月曜日

元ゴールドマンのクオンツ物理学者、ウォール街の偽善嘆く

10月31日付ブルームバーグの書評です。

ゴールドマンサックス・グループでクオンツファイナンス責任者を務めた素粒子物理学である著者のことば、

「リスクを取らずに成果が出せると思うな、損失の可能性なしに利益が得られると考えるなとわれわれはかつて教えられてきた」

にもかかわらず、

「今は縁故資本主義、利益は個人のもの、損失は社会で共有という現状、企業助成政策などを甘受している」

という箇所は、特にリーマンショック後の、米国政府による見境のない市場経済への国家関与をさしていると思われます。筆者のいうとおりですが、モラルハザードという点で日本のほうがより深刻であることをわれわれは反省しなければならないと思います。

古くはダイエーにはじまったモラルハザードは、JAL,東京電力へと続こうとしています。企業という形をしていないかも知れませんが、農業、医療、介護・・・もまたモラルハザードの根城です。

共産主義よりも資本主義のほうが優れた制度であるという命題には、モラルハザードが起きないという前提があることを忘れてはなりません。
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2011年10月27日木曜日

ギリシャ債務元本削減率、50%で決定

米ウォールストリートジャーナルの速報記事です。
http://online.wsj.com/article/SB10001424052970203687504576654901570712070.html?mod=djemalertNEWS
仏サルコジ大統領が、「マラソン」協議の末に、合意に至ったと発表。自主的な債権放棄を促すに至る討議の過程では、乱闘もあったようで、記事中の写真をご覧ください。

経済が萎むとき、損を誰が負担するかという問題に直面すると、人間は醜さが出ます。

50%~60%の債権放棄を民間債権者に強いるという根回しが先週末から始まっていましたが、この合意過程を見ると、わたしは90年代中盤の、住専問題を思い出さざるを得ません。

民間負担の裏返しである「公的負担」が6850億円に決めるために、政治的にも世論的にも夥しい時間とコストを費やしたものの、後から思えば、血税が負担した金額規模は桁違いに終わった。

同じことがヨーロッパで起きることは略間違いなく、今回の合意は序章に過ぎないでしょう。
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2011年10月25日火曜日

「現金の海」を泳ぐ銀行

ほとんど金利がゼロなのに、(家計部門などが)銀行に預けている預金の残高は未曾有の水準。ところが、銀行はリスクの高い貸出を控えようとする。信用力の高い大企業は借りてくれない。

銀行全体の預金量に対する貸出の比率(=預貸率)のグラフを見てびっくり!!

90年代以降の、デフレ、大企業の債務リストラ、低金利~ゼロ金利が概ね20年続いた日本のことではありません。ニューヨークタイムズ紙が、「銀行たちが現金のなかを泳いでいる」と譬えたグラフィック記事は、昨今の金融危機以降、急速に「カネ余り」状態に陥った米国の商業銀行の姿を現しています。

このグラフィックが付属している記事本編では、預金の「洪水」を歓迎できない商業銀行のなかで、とくに高飛車な大手のなかには、ニューヨークメロン銀行が一部不採算預金客に対して0.13%ポイントの口座管理料の徴収を計画しているほか、JPモルガン・チェース、USバンコープ、ウェルズファーゴが当座預金だけでなく譲渡性預金の金利を殆どゼロに下げたうえで預金保険料を中小企業向けの貸出金利に上乗せする形で転嫁する動きが出ています。

昨日アップのウォールストリートジャーナルの記事にありますように、一方では、オバマ政権が緊急対策を打たなければならないほど、住宅ローンの借り換えが(ちゃんと約定どおり元利払いをしてきた善良な人々ですら)ままらなぬほど銀行の貸出姿勢が厳しくなっている。その結果が、預貸率の「悪化」です。

金融危機以前は、どの商業銀行も預金獲得に躍起になっていて、3%以上の金利を付けるだけでなく、iPadを無料で配るまでして、また支店の増設も盛んだったのが、一転、支店閉鎖、何千人という桁での解雇という状況に陥っていると同紙は報じています。
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2011年10月24日月曜日

住宅ローンで債務超過の借り手を救済へ-米国政府

米ウォールストリートジャーナルの臨時ニュースです。
http://online.wsj.com/article/SB10001424052970204346104576638931114550132.html?mod=djemalertNEWS
資本主義陣営である米・欧・日などのなかでは、モラルハザード的な政策が最も受け入れづらい米国で、極めて異例な「自己責任・結果責任を問わない」手段が取られようとしています。

共和党側、とくにティー・パーティーの出方、反応にも注目ですが、オバマ政権の動きに、しのごの言ってられない、のっぴきらない状況を感じざるを得ません。

ギリシャという国が相手か、住宅ローンを借り過ぎた相手か、随分異なるように見えますが、稼ぐ力以上の生活に嵌ってしまった浪費家を助けざるを得ないという事情ではほぼ共通です。

米国財政の更なる不健全化という意味では明らかにドル安要因、ただし景気悪化に歯止めがかからない程度であればマネーサプライは上昇せず、ドル高要因と減殺されます。
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【追記】今朝10/25(火)朝のNHKニュースで、ウォールストリートジャーナルのスクープを追認する報道がありました。そのサイトを添付します。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111025/t10013482551000.html

「ことりFX」いよいよ始まる⇒始まりました【フェニックス証券】

七転び八起きブログの外枠で、密かに(?)お知らせしていたフェニックス証券の新サービス「ことりFX」、、、いよいよ本日10/24(月)サービス開始&新規口座申し込み受付開始となりました。

10月に入ってから、毎週末、役職員全員で土日出勤してテストを繰り返し、昨日一昨日でフェニックス証券の既往のお客さまの口座移管を無事完了。本日からログイン可能となり、また新規のお客さまの口座開設申し込みも予定通り開始することが出来ました。

デモ口座も従来通り機能しております。

利便性(パソコン~スマホ《iPhone/Android》・・・)でも取引条件でも、これまでより格段に改善し、業界トップクラスになっていると自負しています。どうぞお試しください。

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2011年10月21日金曜日

破綻したデクシア銀行の大胆過ぎる粉飾

今朝のフィナンシャルタイムズが臨時ニュースで、欧州危機による最初の破綻銀行、デクシア(仏蘭西・白耳義)が、取引先2社に対して巨額の融資を行ない、その資金がデクシア自体の株式の購入に使われたと報道しています。

http://www.ft.com/intl/cms/s/0/6c89260a-fb29-11e0-8756-00144feab49a.html#axzz1bHEleE7L

融資額は2社分合わせて2000億円程度。EUをはじめ多くの文明国では禁止されている行為だが、ベルギーではOKかNGか、記事によると微妙です。

禁止行為が行なわれたのは2008年以前の増資の時期だったということで、これはギリシャに端を発する欧州危機どころか、リーマンショック以前であったことにも驚きを隠せません。

しかし驚いてばかりいられません。この事案が、粉飾や架空増資という意図を以って行なわれたことかどうかもさることながら、間接金融の規模の割に直接金融の市場が小さく、金融機関が優越的地位の濫用を起こしやすい経済圏で起こりやすいわけでして、そういう意味では日本の金融制度も他人事ではないのです。

「預け合い」と並ぶ架空増資のやり口である「見せ金」も、もともと(「見せ玉」と同じく!?)、抜け道がいくつも存在していました。最低資本金制度などの改正や、自己株(≒金庫株)取得の解禁など規制緩和も拙速だったという商法学者(会社法学者)の見方もあります。一方で、銀行の優越的知の濫用については規制が強化されているとも見られますが、銀行の融資先への劣後債等の引き受け要請、自行株担保の融資、株式持合など、架空増資と紙一重の行為は、失われた20年でもまだ十分失われたとは言いづらいのが現状です。

リーマンショック直後に批判した銀行による政策保有株式の話、、、預け合いと株式持ち合いもこれまた紙一重です。
http://phxs.blogspot.com/2008/10/blog-post_21.htm

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FX攻略.com12月号が発売開始

http://www.fujisan.co.jp/product/1281682947/
唯一の外国為替証拠金取引の専門誌(月刊誌)FX攻略.comで新連載「『為替力』で資産を守れ!」を始めて約半年経ちました。ブログとは異なり執筆後約1ヶ月ディレイとなりますが、最新号12月号も是非お読みください。

「ことりFX」10月24日サービス開始を記念して(!?)、これから毎日過去記事を御紹介して参ります。


「『為替力』で資産を守れ」



新連載第1回


東日本の太平洋岸に未曾有の被害をもたらした地震と津波から2ヶ月以上経ちました。犠牲者の方々の尊い魂を沈め、被災者の方々の苦難と努力に報いるには、義援金や「いっしょにがんばりましょう!」などのメッセージだけでなく、おそらく明治維新にまで遡るであろう錆びついた国の形や既得権益を打ち砕くこと、敢えてこの国難を好機だと捉える思考と行動が重要だと確信しました。


震災直後、再び大規模システムトラブルを引き起こしたみずほフィナンシャルグループでは、みずほ銀行とみずほコーポレート銀行の統合や、頭取・社長経験者の特別顧問の引退、行政処分などが次々と発表されています。社内外の何処から見ても間違っていることを改めるのに10年以上掛っているという事態は、霞が関や永田町の出来事ならまだ多少は理解できるものの、民間のしかも一応は上場している会社での実態だと思うと、ただ呆れるばかりです。社内外の正論をひたすら粛清し続け、旧体制にしがみつき既得権益の甘い汁を吸い続けようとしてきた権力構造は、巨額融資や政策保有株式という形で、東京電力をはじめとする「原子力村」と固く結びついていました。


巨大銀行や電力各社だけでなく、日立、東芝のような原発メーカー、そして勿論、経産省とその下にぶら下がり点在する保安院等の原子力関連団体には、偏差値エリートが多数巣食っています。彼らの殆どが有事に際して無能力であり、人生の或る時期だけ、頭の器用さを発揮してレールに乗っただけに過ぎず、大企業や官僚組織は彼らのポテンシャルを削ぎ落としただけだったことを大衆の前に曝け出したことも、先述の「国難のなかの好機」であると、私は思うのです。


それでも巨大銀行には遅かれ早かれ公的資金が入るでしょう。これはやむを得ないことかも知れません。一方、証券会社やFX会社についてはどうでしょう。震災だけではない様々な改革や環境変化を経て、例えば我がフェニックス証券と、その桁違いのバランスシートを持つ最大手数社と比べて、倒産確率は比べ物にならないと6年前の社長就任当初は思っておりました。今はどうでしょうか。


個人中心の外国為替市場と規制強化という特徴で、我が国のFX業界は独特の進化を遂げて来ました。正直、金融業界の端くれだとは思いますが(笑)、銀行や大企業と異なり、努力が成果となって現れやすいFXという分野の特色は、より一層、業界側もユーザー側も喜んで共有すべきであると思われます。
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2011年10月18日火曜日

リスクヘッジに悩まされたモルガンスタンレーと零細トレーダーの夢と希望

大手外国銀行の四半期決算の内容が株式相場や為替相場に大きな影響を与える時期に突入しています。

しかし、洋の東西を問わず、大手銀行の決算の中身というのはよくわからないものです。

そのなかで、ウォールストリートジャーナル紙の記事
Hedges Haunt Morgan Stanley
Bets Backfire as Exposure to MBIA Dogs Wall Street Firm.
は、今年に入って株価を44%も下げたモルガンスタンレーの苦悩を鋭い切り口で描いています。
 
リーマンブラザーズが今のギリシャだと譬えれば、保険大手のAIGや信用保証の巨大企業MBIAはイタリア、スペイン級だったわけで、信用不安が蔓延して連鎖倒産によって世界金融がメルトダウンしていた可能性は大いにあったのです。
 
逆に言えば、そのメルトダウンが喰いとめられて現在に至っているように、現象的には、見えます。しかし、米国どころか世界を代表する第一級の金融機関であるモルスタが、夥しい金額の信用リスクについてMBIAへ「ヘッジ依存」してきたために「往復びんた」を浴びている姿からは、リーマンショックがいつのまにか収束していたという漠然とした印象を抱きがちな我々の目を覚まさせる実態が見え隠れします。
 
幸か不幸かリーマンショックが官民挙げての巨悪の相場操縦ではなかったこと、一流の人材を大量に集めて情報機関としても第一級の組織であっても相場を操縦するどころか逆に相場に翻弄されることがあるということ、などなど、多くのヒントを得られる記事です。
 
巨額の利益を上げ続けられるというのは本来不可能であり目に見えない(または敢えて隠された)リスクがあること、利益率は低い中小零細の組織であっても真っ向勝負を続ければ生きていく道があることも意味し、考えようによっては大変勇気を与えてくれる事実にも思えます。
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2011年10月14日金曜日

中国資本主義のメルトダウンが始まった

町工場のオーナー社長が高利貸しからの借金取り立てに敵わず夜逃げ、自殺が急増しているという事態をニューヨークタイムズが渾身レポートしています。

http://www.nytimes.com/2011/10/14/business/global/as-chinas-economy-cools-loan-sharks-come-knocking.html?_r=1&ref=global-home&pagewanted=all

「社員旅行に不参加ならば罰金だ」などという何だか高度成長期の日本の企業文化を彷彿とさせるような脅しで総従業員の休暇を強制したオーナー社長が、自分ひとりその旅行に参加せず、従業員が休み明け工場に戻ってきたら、工場のなかの設備が空っぽになっていてオーナー社長も行方不明になっていた、というエピソードから始まる長文の記事。

低価格による輸出競争力の縁の下の力持ちである筈の町工場を、大手国営の銀行は相手にせず、中小メーカーは高利貸しに日々の資金繰りを頼るしかないというのが中国資本主義の実態であるが故の悲劇が顕現化しはじめているとニューヨークタイムズは言います。

傾斜生産方式に端を発し護送船団方式によって温存された間接金融優位の金融制度が我が国独特の歪んだシステムであり、産業の二重構造と相まって戦後経済の復興と高度成長の原動力となった事実を顧みると、我が国には対岸の悲劇を笑う資格はありません。

機会均等が確保されていない資本主義がメルトダウンしかかっているのが、金融引き締めでバブル退治をせざるを得ない中で最大の輸出相手EUのスローダウンに直面した中国の姿であろうと思います。

ところで、機会均等が確保されていない点では日本も中国と五十歩百歩であり、その処方箋がセーフティネットの拡充であると誤解し続けているのが日本であるというのが私の意見です。
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2011年10月13日木曜日

ジョージ・ソロス氏のユーロ防衛発言は続くが・・・

ここ数カ月続いたユーロ危機が小康状態になった一週間ですが、この間フィナンシャルタイムズに幾度もユーロ防衛(応援)発言を繰り返してきたジョージ・ソロス氏。(ロンドン時間の)今朝も

「まだまだ(現在のEFSF合意だけでは)不安である。・・・

・・・地雷原を潜り抜けてユーロが守られるために各国首脳が取るべき手段はこの狭い道しかない」

という論稿をあげています。

不世出のヘッジファンドのマネージャーによる執拗なまでの「ユーロ圏はかくあるべき」発言は、自らのユーロ買い越し(かつまたは南欧系諸国の国債のキャリー)ゆえのポジショントークとも考えられ、だとするとこの1週間の戻りでもまだ満足できない水準だということでしょうか。

1997年のアジア通貨危機や、更に遡って1992年のポンド危機の時の振るまい、その背景に「通貨が売られるには合理的な理由がある」という正論染みた哲学と比べると、この間の氏のFTへの論稿には違和感を覚えました。

尤も、氏のポジショントークは、好意的に捉えれば、アジアやイギリスでやったことをユーロ圏(≒EU)で繰り返して三匹目のドジョウを狙うのは、世界平和の観点から洒落にならないという人道的な配慮とも見られなくもありません。が、いずれにしてもその中身は、その執筆意図に反して、何故この先もヨーロッパは危機と背中合わせなのかを明確に示しています。

氏が描いている処方箋を裏読みすれば、欧州の銀行は乾布摩擦をする予定だったのが、国立病院のなかで肺炎が蔓延してしまっているという状況のようです。
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2011年10月11日火曜日

ノーベル経済学賞にサージェント氏とシムズ氏

ウォールストリートジャーナルは、受賞者であるふたりの米国人の功績を、いわゆる合理的期待形成理論を打ち出したことだけにとどまらず、統計学の応用によって、マクロ経済学は、「サージェント=シムズ以前」と「以降」に分類されるほどだとの称賛を引用しています。

一方、フィナンシャルタイムズは、インフレターゲットや量的緩和(QE2などの時間軸効果)のコミットなど、中央銀行の政策目標がガラス張りであることの良し悪しについての分析において、このふたりの受賞者の研究成果が大いに役立つことを指摘しています。

財政・金融による恣意的な景気刺激策は、長期的には勿論、短期的にも意味が無いと説く、合理的期待理論は、レーガン政権下の経済運営に大きな影響を与えていた筈ですが、実際には、社会保障費などの削減以上に国防関係費が嵩むという経過を辿り、当時の米国経済は、オールド・ケインジアン的な枠組みで景気を回復させてしまいました。

80年代後半の我が国のバブル経済が崩壊してから、財政政策は平時経済では有り得ない程度の赤字を続け、昨今財政破綻の問題が起きている欧米諸国のどこよりも悪い水準に至るまでになっています。この20年間、合理的期待理論が日本経済の失速をどのように解説できるか?本質を穿つ難問ゆえ、別の機会に譲らせていただきたいと思います。

より現実的でわかりやすい実例は、リーマンショックからの米国経済の立ち直り、世界経済の立ち直りに、惜しみない財政・金融政策は、大いに貢献していたのではないかという観察です。幸いなるかな、労働市場も、金融市場の参加者も、サージェント氏が想定していたほど、合理的に行動はしていなかったということです。

しかし、それが長期的に、恒久的に有効ではない、、、、という至極当たり前のことが、欧米両側で発生している債務危機(ソブリン危機)です。

民間銀行の問題を国家権力(の協力)によって一時しのぎは出来た。が、問題の所在が国家権力のレベルに格上げされると難易度は比較になりません。

欧州通貨の相場については、一時しのぎで対円または対ドルで戻っているときは、売りから入るチャンスだと考えられます。収束にはかなりの時間を要し、相場の変動幅が大きい状況が意外と長く続くと予想します。
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2011年10月3日月曜日

ベートーヴェンとヘーゲルが同い年だったという浅田彰氏の指摘

止揚(アウフヘーベン)としてのユーロ圏

前回このブログにアップした「月刊FX攻略」の記事「為替力で資産を守れ」の“チラ見”(”立ち読み”)ですが、既に来月号の原稿を編集長にお送りしております。

やはり、ユーロ問題を、さらに掘り下げようと思って書きすすめた直近号の続編です。このなかで、「ユーロ圏」という統一通貨構想が、過去延々と民族間の対立・戦乱のなかで繰り返されてきた分裂と統一の長所短所の止揚(アウフヘーベン)としてぶち上げられたものではなかったかと、指摘いたしました。

止揚(アウフヘーベン)というのは、ヘーゲル(1770~1831)哲学(など)の弁証法(ディアレクティーク)で、相対立するふたつの命題(テーゼとアンチテーゼ)から、その矛盾を乗り越えて一段階上の命題(シンテーゼ)が作られる過程を意味します。

対立を乗り越えた和解のようなイメージです。

ソナタ形式と弁証法

10/1(土)11:00から、NHK教育テレビで再開した坂本龍一「音楽の学校(スコラ)」は、前回シリーズでバッハが取り上げられていたのを踏まえて、ハイドン(1732~1809)、モーツァルト(1756~1791)、ベートーヴェン(1770~1827)を中心とする(ウィーン)古典派の作曲家がテーマになっています。

この新シリーズ(シリーズ2)の初回は「古典派の歴史的位置づけと音楽的特徴」と題して、「ソナタ形式」とは何かについて、坂本龍一氏とその「仲間たち」である、浅田彰氏、岡田暁生氏、小沼純一氏と、作曲を勉強中の高校生たちとともに、探っていくという試みでした。

教科書的な音楽史には見られない斬新な切り口が各々の発言から読み取れ、30分ではとても足りないテーマながら凝縮した番組内容。その中で、特に注目したのが、浅田彰氏の指摘

「ベートーヴェンとヘーゲルが同じ年に生まれている。」

「ソナタ形式の大家と弁証法の大家の生涯が重なっていることは偶然とは思えない。」

「弁証法というと難しいが、ドイツ語の意味としては『対話』ということ。ソナタ形式も(第一主題と第二主題の)対話ではないか。」

というところでした。

浅田彰氏の名言の数々

実は、前回シリーズ(バッハ)で、岡田暁生氏が「ソナタ形式という音楽用語は、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン(たち)よりも後の時代の評論家が名付けたものである」と指摘していたのが印象的でして、ウィーン古典派の大家の3人が、形式を洗練しようとか守ろうとかいう意識と、第一にパトロン(スポンサー)や一般聴衆の信認を得たいという意識と、どのように混在していたのかハッキリしないのです。

以前ブログで譬えに使った俳句の五七五と似ていると思います。

つまり、才能を発揮したい、才能を認めて貰いたい、その結果として名声と生活を確立したいという動機がない筈はない天才作曲家たちが、過去の巨人の形式を(、、、敢えて、または知らず知らずのうちに、、、)踏まえたうえで、独創性を訴えたいというのは、矛盾した、二律背反した、苦しい作業のようにも見えます。

この矛盾をあっさり読み解きたいと思い、浅田彰氏の切り口を振り返ってみることとしました。

浅田彰氏は知の巨人であり名言の天才です。まず、ウィキペディアによれば、

「財務省のエリートは、数学か経済学の博士号くらいは持っていて、5時にはサッと仕事を切り上げて小説を執筆するなりオペラを鑑賞するというスタイルを持つレベルであってほしい」

と述べているそうです。ほんとうにおっしゃるとおりであり、勿論、能力が低いから残業しているわけではないとわたしは推測していますが、政治主導だけでなく、人事院主導でも、この国の行政はずいぶん良くなる余地があると思います。

勉強しろ!!!ということで言えば、昭和59年(西暦1984年)の春、大学の入学式の直後の学部の茶話会で、氏は新入生に向かって、

「女遊びなどは半年一年ガンガンやれば飽きる。早く飽きてしまって勉強してください。」

という発言がありました。ご本人は覚えていらっしゃるかどうか判りませんし、また、ご本人がそのような時期に飽きるほど集中的にお遊びになったのかどうかも判りません。

勉強好き(だが商売が苦手)なわたしにとっては、これまた我が意を得たりという名言ですが、今日の日本の状況では、飽きるほど集中的に遊べる男性諸氏は殆ど皆無に近いと推察されます。

ところが、需要があるところには供給があるものです。個室ビデオ鑑賞なるものが町のどこにでもある。こんな国は、わたしが知る限り、日本だけではないかと思いますが、何かと閉鎖的と言われるこの国も、外食産業など一部のサービス分野には自由主義経済の良い面が発揮されているのです。

第一主題と第二主題は陰と陽の関係だったりする(坂本龍一)

何が言いたいのかと言うと、、、、殆どの男性は、場所は兎も角、「鑑賞としての遊び」を経験しているわけであり、恐らく複数のソフトというかコンテンツの経験があると想定されますが、毎月夥しい数量の新作ソフトが供給されて、もう何十年にもなる歴史の中で、よくよく考えてみると、中身の細かいところは兎も角、骨格としての進行パターンは殆ど変わらないことに気づかされます。

それと、ソナタ形式と、どう符合するのか!?

当ブログはアダルトサイトではないので、またそのような事業主との資本関係もございませんので、此処から先は御想像にお任せすべく、読者のみなさまの宿題とさせていただきます(笑)。

ひとつ大事なことは、その類のソフトの進行パターンは、こうでなくてはならないと、業界団体(≒自主規制機関)で、頭ごなしに決めつけているものでは決してないこと。パターンを踏まえようという意識よりも、夥しい過去のストックや新作のなかで埋もれないように、新しいこと、独創的なことをやりたいという意識のほうが、制作側にはずっと強いと思われること。。。

このような意識のバランスだとか、生存競争という環境だとかは、ソナタ形式と向き合っていたクラシック作曲家たちと意外なほど共通するものであったと想像しています。