2017年5月2日火曜日

今中哲二京都大学原子炉実験所助教の講演録ほか チェルノブイリ子ども基金&未来の福島子ども基金イベント

先週金曜日に、原子力発電所の事故として、31周年のチェルノブイリと、6周年の福島、これら被災地とその子供たちを支援する毎年恒例のイベントに今年も参加しました。


毎年、チェルノブイリ事故が発生した4月26日の周辺で毎年行われるこの「チェルノブイリ子ども基金」(加えて6年前からはその派生ファンドである「未来の福島子ども基金」)のイベント。強制避難か自主避難かにかかわらずその子供たちに対しての理不尽ないじめや差別がおそらくは実態のほんのわずかしか事件化していていないと想像される今日、思うところもあり、アヴァトレードジャパンとして、社格に似合わない(!?)金額の寄付をさせてもらったところです。


今年の目玉は、原子力発電の技術者研究者の立場でありながら、米スリーマイル島原発事故以来、原発の「非現実性」について、原子力村の権力者たちを恐れず警告を続けてこられ、福島第一原発の事故以降は舌鋒さらに鋭くされてきた今中哲二京都大学原子炉実験所助教(ただし今年3月で定年退官。その後も同実験所で研究員として勤務継続と自己紹介されていました)の講演でした。


チェルノブイリ周辺の放射能汚染の地図に見慣れている小職にとっては、汚染の深刻さが事故現場から綺麗に同心円で広がっていくわけではなく、事故当時からの風向きや風速、いつどこで雨や雪が降ったかなどで、極端にその同心円が崩れることを理解していたつもりでした。


しかし、これを福島第一原発の事故に置き換えた時に、南東北、北関東、南関東の各地の宿命も同じように偶然に左右されていただけであったという、特に東京の住民にとっては恐ろしい含意を含んでいることが今中先生の講演で指摘されていました。


具体的には、事故現場から北西方向にあたる飯館村方向に風が流れていた時間帯は雨や雪が降っていた、南西方向にあたる東京に風が流れていた時間帯はたまたまそうでなかったので、放射能の隗は東京上空を通過して太平洋へと流れた、ということです。


今村雅弘「前」復興大臣の「まだ東北で、あっちの方だったから良かった」というのは、政治家としてホンネとタテマエを使い分けるべきところを(身内のパーティーでの講演だったということで)油断しただけであり、ホンネとしては一理あるのではないかと内心思っているひともきっと大勢いらっしゃるのではないかと敢えて申し上げます。「自分さえよければ」という意識が正直小職にもあるからこそ、「東京が飯館村と同じ運命にならなかったのはほんの偶然に過ぎない」という事実は頗る重く感じられます。


ご存じの通り、東京電力が保有する原子力発電所は一基たりとも東京電力が電力供給するエリアにないわけです。今中先生が研究者駆け出しのころに柏崎刈羽を取材したときに地元住民が「東京電力のひとは安全だ安全だというけどそこまで安全だというのをなんでこんな田舎に作らなければいけないのか不思議だよね」と異口同音につぶやいていたという逸話を披露してくれました。


原発事故が単なる人災ということだけでなく確信犯みたいなところがあるという話です。


ただし、小職は、「チェルノブイリ子ども基金」「未来の福島子ども基金」で無償で活動しておられる皆さんと反原発ということで完全に同意しているわけではありません。


福島第一原発だけは、ほかの(東京電力管轄の)原発に比べて明らかに構造上の欠陥があることが従来から指摘されていて、コストの問題で放置されていた。同じ巨大地震で女川、福島第二が(停止はしたが)事故に至らず、そして別の巨大地震で柏崎刈羽が(火災は起きたが)同様の事故には至らなかった。また安全性という面で魅力があるはずの核融合技術が、もんじゅでの度重なるうっかりミスでとん挫するというのも、我が国にとって残念すぎる損失であることも指摘したくてたまりません。


いっぽう、先週こんなニュースもありました。BBCによると、先月22日は、イギリス全体で発電において石炭がまったく使われなくて済んだ一日になったということで、これは1880年代以降はじめてのことで、それだけ再生可能エネルギーの利用が進んでいるという話でした。


小職は、バイオマスが再生可能エネルギーで、石炭がそうではないという意味がいまひとつよくわからないのですが、一定期間におけるCO2を基準に考えるとこの二つは区別して良いということなのでしょうか?


同記事によれば、イギリスの再生可能エネルギー依存度は2015年においてすでに発電量の25%に至っているとのことです。片や日本は、こんな感じです。
新エネ等(3.2%)と一般水力(8.4%)を足しても11.6%にしかなりません。今中先生も、講演の締めくくりとしてこの棒グラフを使われ、個人的にはモノが足りるようになったと思われる1970年代後半(二度の石油ショックから経済が回復して)以降の電力需要は豊かさのバブルなのではないか?人口減少社会を迎える日本としては、原発再稼働などの欲望を捨てて分相応の生活に戻っても良いのではないかと語っておられました。


小職も消費社会という点においては同感です。輸出立国を支えるための製造業を支えるための質の高い電力供給ということにまで話が及ぶと少し違ってくるかも知れません。しかし、廃炉コストや安全コストまで勘案すると、原発再稼働が世界の工場復活の条件というのも絵空事だと思います。

あまりに外国為替相場と無関係な話が長くなりましたので、先ほどの棒グラフと同じ出典サイトに為になる折れ線グラフがありますのでご紹介します。
ふたつのグラフの出典はこちらのサイトです。

「1880年代以来の『石炭なしの日』」というBBCの記事はこちらです。