2014年8月15日金曜日

空襲前に米軍機よりばら撒かれたチラシ

また今年も靖国参拝。それも集団的自衛権の抑圧された狂騒の残滓のなかでであります。

本当の意味でのA級戦犯は誰なのか?何なのか?という問題に予断を持たずに答えるために隠された歴史をとことん紐解くにも限界があるかも知れません。

ひとつの緒(いとぐち)として、ヒロシマ、ナガサキ、オキナワ同様、決して過去のものにはならない東京大空襲を取り上げてみたいと思います。

グーグル検索の第一位は御多分にもれずウィキペディアです。

そして、第二位には東京写真紀行というサイトが入っています。サイトの管理者さんはわたくしの知り合いではないので、紹介して良いのか、どう紹介して良いのかわかりませんが、実は、だいぶ前に、JR武蔵五日市駅から戸倉三山という長い尾根道を歩こうとして挫折したことがあり、そのときに立ち寄った史跡名刹を調べようとして大変参考になったサイトだったのです。

ウィキペディア東京写真紀行も、ある意味では残念ながら衝撃的写真を好奇心kから覗いてみたというニーズも捕まえての上位入選というところはあるのかも知れません。それでも結果的に東京大空襲の悲惨さを多くのネットサーファーに知らしめ、多くの日本人に歴史責任を考えさせるきっかけを与えているとすると、有意義過ぎるボランティアだとわたくしは思います。

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そこで、わたくしがきょう注目したいと思ったのは、両方のサイトに共通する凄惨きわまりないイメージでもテキストでもないのです。後者には指摘があって、(網羅的媒体として知られる)前者には指摘がない、表題の「空襲前に米軍機よりばら撒かれたチラシ」についてです。

東京写真紀行のほうをスクロールしていってもらうと、出てきます。

このビラを拾うと非国民として罰せられた。このビラを見た人やうわさにより、東京から離れ被害に遭遇しなかった人も多かった。

もしこれが事実だったとすると、現在のイスラエル国ガザ地区の紛争と同じ構造です。圧倒的なイスラエル軍がガザ地区のパレスチナ系非武装市民をも攻撃しており非人道的だという現象面と、非武装市民への疎開勧告をイスラエル側は出していたのにハマス側が人間の盾にすべく自らの軍事拠点周辺に留まらせたという情報とが対立しているからです。

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人々の考え方や感じ方というのは、受けてきた教育や過ごしてきた環境で大きく変わるのは、世界がひとつに繋がっているかのようにみえる今日ですら同じです。しかし、今年で70週年を迎えるカウラ事件も然り、神風特別攻撃隊も然り、そして東京大空襲の米軍による予告があったのならばですが、もうちょっと見逃せないくらいの少数派が、非国民と呼ばれようが、恥ずかしかろうが、大日本帝国の惨敗は直感的に明らかだとして、非国民な行動の輪が形成されて、戦争指導者を暗殺する等々の動きが出来なかったものか?

かような草の根が踏み潰されていたとしても、東京大空襲を傍観していた指導者や、特攻隊への志願をさせていたまたはしていたエリート兵のなかからでも、レジーム・チェンジを確信して、レジーム・チェンジ後も生活基盤を失いたくないとの私欲からでも良いから、条件付き降伏を諦めさせようという動きが出来なかったものか?様々な要因があるので、仮にそのような指導部の分裂や下克上があったとしても、それだけで、ヒロシマ、ナガサキを食い止められたとは勿論言えません。

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オキナワ密約クラスの内緒話を胸に秘めて、多くの国民から罵倒されても、サンフランシスコ講和条約や集団的自衛権を批准させていくのは、保守系政治家としては立派な仕事です。だからと言って、それだけでまだ満足せず、「東アジアの結束は許せない」とする同盟国米国からの厳命に基いて靖国に行って、米国そのものから不快感を示されるという屈辱的な役回りをしているというのでなければ、保守系政治家としては残念なほどに脳天気はお話と言わざるを得ません。

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2014年6月30日月曜日

集団的自衛権の思い出

もう30年以上も昔の話なので、正確に思い出せる自信もなく、いい加減な記憶に基づいて公に文章を書いて良いものかどうか悩ましいのですが、タイミングとしては今しかないのかなと。

実は、前回のブログ(+メルマガ)執筆からちょうど半年もサボっていることになっていて、今日あたり更新をしないと、何千ものメーリングリストが消失してしまうらしいのです。

高校生のころ、もうちょっとだけ詳しく憲法を勉強しようと思い、本屋で買うことを決めたのが、伊藤正己著「憲法入門」(有斐閣双書)でした。

入門という文字と、本の薄さと、自分のお小遣いでも買える値頃感の三要素で選んだのであって、伊藤正己先生がその後最高裁判事としてMr少数意見と評されるほど東大卒のエリート中のエリートとは思えない反骨精神を知ったのはもっと後のことでした。

その当時は、「集団的自衛権は国連憲章で保障されている」「国連憲章は日本が批准した国際法であり、国際法は憲法に優先する」「したがって日本には集団的自衛権が当然に存在し日米安保条約は合憲である」というような三段論法に違和感を覚えたものでした。

そのころの憲法議論は、冷戦下、保革逆転なるかならないかという政治情勢(政権交代とは言いません)と、どちらかと言えば革新陣営の論客が大手を振るっていたアカデミズムの影響もあり、憲法第九条の解釈の争点は、第二項の冒頭の「前項の目的を達するため」の日本語解釈みたいなところがあり、完全非武装か(専守防衛の)自衛隊なら合憲かという問題でした。

時は移り、集団的自衛権までもか、個別的自衛権どまりか、と争点がシフトしたのは皮肉では片付けられません。

ところで、米軍基地というのは世界中にどのように分布しているでしょうか???

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E8%BB%8D

一ヶ月半ほど前に、アイルランドから昼間の会社の出張者が、ドイツからは知人が来たので、この話をしてみました。結果は、日本同様に米国べったりの両国ですが、ドイツは日本以上に、というか世界一米軍の兵隊を受け入れている国であるのに対して、アイルランドは米軍機がヨーロッパに飛んでくるときに頻繁に停留する場所なのにあくまで自国の空港を貸しているだけだというのです。おそらくドイツだけがダントツの例外で、他の西側諸国は、我が国における沖縄基地負担問題のようなものは存在しないとのことでした。

アジア特に極東は、これとは全く地政学上の位置づけが異なることが想像でき、実際そうなっています(上記ウィキペディア参照)。

さて、ドイツは日本同様、第二次大戦の敗戦国ということで、在独米軍の依存(?)が高いということで、米国に集団的自衛権の行使を迫られやすいと言えるでしょうか?上述の地政学上の位置づけの違いに加えて、EUへの所属問題もありますが、現実としては米国主導のイラク戦争に対して、フランス同様、反対し、参戦しなかったことは記憶に鮮明です。

それでは、日本は、ドイツ同様、在日米軍依存の体質を変えずに、集団的自衛権を拒否できるのでしょうか?右翼のひとでも、左翼のひとでも、商売目的ではなく、純粋な政治信条に基いて政治的主張を行うのであれば、在日米軍依存を断ち切り、自国防衛を確立し、集団的自衛権受け入れによる不確かな義務と権利に翻弄されないようにするというのが正論でしょう。わかりやすく言えば、米国主導の戦争に協力していれば、米国は日本を守ってくれるという、互恵的な関係、つまり契約には担保がありません。

しかし、この潜在的な不平等条約の前に、既に顕在的な不平等条約が存在していることを忘れるわけにはいきません。しばしば平和目的であると誤解されがちな核拡散防止条約です。我が国の自衛隊が実はどんなに強いからと言っても、またそれをどんなに強化すると言っても、我が国の周囲の国々には核があり、我が国にはないというのは動かせない事実であり、平和利用という大義名分で占有していた原子力発電用のプルトニウムも含めて米国の掌上にあるわけです。

日本としては米国の核の傘の下に入っているという虚勢を張るべく、非核三原則をねじ曲げ、日米軍事同盟と核拡散防止条約には甘んずるという方法以外にはないように思えます。

そして、最も重要なことは、このように独立国家とは名ばかりの今のところ表面上は豊かな国にしてしまったこの国の指導者の多くは、開戦や敗戦、そして戦後日本の繁栄と没落を導いてきた指導者またはその子孫であるということです。

そういうオボッチャマ政治家の口々から、他に手がないのです、と土下座して説明してもらったら、われわれ市井人としても、もうちょっとスッキリするのではないかと。

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2013年12月30日月曜日

ここにはパーツ屋さんもあった

先月久しぶりに昭和の残り香が漂う高円寺に舞台演劇を観に行きました。お題は、「ここには映画館があった」。映画好きの少年が、映画館の集まる県庁所在地の賑と、映画独特の垢抜けた開放感へ憧れ、それが時代に取り残された郷愁へと変わっていく姿を、見事にまで映像や動画に頼らず、舞台俳優さんたちの演技と台詞だけでファンタジーまでやってのけるという、実験的劇作家坂手洋二さんの真骨頂に引き込まれました。

表現能力も表現手段もまったく段違いに低いわたくしでありますが、憧れと妬みの対象だった田舎の県庁所在地がどうしようもなく空洞化して、乾ききった郷愁に変わってしまっているという感覚は、劇作家の逆手さんとわたくしが共有できるものだったのかも知れません。

さて、映画という産業やメディアがなくなったわけではなくて、物理的なアナログフィルムが仮想的なデジタル「フィルム」に取って代わられただけです。

デジタル革命とムーアの法則によって空洞化したのは、もちろん映画館だけではありません。

毎週末テレビでやっていた歌番組やお笑い番組は、年末年始にしか見られない、それなりに凝縮感のある特番になったのも、もしかしたらデジタル革命の仕業かも知れません。

ところで、今ではどこにでもある田舎の県庁所在地のシャッター商店街には、かつては映画館だけではなく、パーツ屋さんもありました。トランジスタや(青色ではない)ダイオード、コンデンサや抵抗などをバスに揺られて買い求めに行ったものでした。そこそこ狭い店内をごった返していたのは、いまではオタクと分類される人達だったのでしょう。ちゃんと確認したわけではないが、お世話になったパーツ屋さんはもう廃業しているのでしょう。そもそも秋葉原にだってラジオの部品屋さんって現存しているでしょうか???

「近年,ラジオ,テレビ,ビデオ,携帯電話などに代表される家電製品の中核が LSI 化され,その内部はほとんどわからなくなってしまった。かつては,ラジオ少年,無線マニアと呼ばれる若者がいたが,現在では彼等も製品を買ってきて使うだけで,中味は知らないようになってしまった。いわゆるブラックボックス化であるが,はたしてそれでよいのであろうか。科学は,未だ人類が知らないことを,より知っていこうという努力の結果,発展してきた。家電製品などは,自然物ではなく人工物であり,理解はもっと容易である。それすら,理解を放棄してしまうのでは,将来の科学技術の発展はとても覚つかない。」(岡部洋一放送大学学長「コンピュータのしくみ」)

http://www.moge.org/okabe/temp/computer2013.pdf


目から鱗です。お恥ずかしながら、わたくしの知識も記憶も好奇心も、集積回路の頃から停止してしまっていたことを自覚したところです。

ビットコインを勉強するまえに、まずこの教材からやり直しです。


ところで、うれしいことに、年末年始の放送大学で、過去の名講義として、再放送中であることを発見しました(^^ゞ)

・・・今年一年もたいへんお世話になりました。読者のみなさま、どうぞ良い一年をお迎えください。アヴァトレード・ジャパン 丹羽

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2013年11月13日水曜日

話題のビットコインが取引できるFX会社も

読売新聞の記事です。

綿密な取材に基づいた記事なので、是非本文をお読みください。

http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/fx/tokudane/20131113-OYT8T00467.htm

題名だけでスルーされてしまうと、とんでもない誤解を招いてしまいます。そこだけは、読売新聞らしくなくて、敢えて言えば某スポーツ紙のような感じがあり、危険です。

ビットコインに関しては、まだまだ情報が乏しいです。

併せて過去のブログもお読みいただけるとうれしいです。

ビットコインとアベノミクス(2013年5月7日)

・・・いちばん声を大にして言いたかったことは「規制する法律がないから扱っていいと私は考えていません」という部分です。


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